「母ちゃん、泣いてました」

「これ俺のじゃん!」自分のファミコンソフトがテレビに…ファミコン40周年の年に起きた“小さな奇跡”Photo by Ryosuke Kamba

 遠藤さんは新潟県出身で、子どもの頃は両親、弟、祖母との5人暮らし。父親は建設作業員、母親は服飾系の工場で働いていた。

「本体とカセット合わせて2万円って結構な額。父親は典型的な昭和のガンコ親父で、子どもの面倒なんてほとんど見なかったから、サンタは多分おふくろなんですよ」

「母ちゃんがなけなしの小遣いで買ってくれたんだろうなと思うと、グッとくるものがあります。親孝行しないとなあ」

 若気の至りでグレかけた時期もあった。「セミ短」「ボンタン」の変形学生服に身を包み、カバンはぺったんこ。時代は1980年代後半〜1990年代前半、終わりかけのヤンキー文化を謳歌していた。

「学校から呼び出されて、母ちゃん泣いてました。いま振り返ると苦労かけたなってすごく思います。お金の面もそうだし、結構ワガママ言ってきた。自分が親になって、当時の親の気持ちがすごくわかるんです」

「一番下の大学生の息子に、俺が昔買ったファミコンのカセットが見つかったんだよって話をしたら、『えっどういうこと? 意味わかんない』って言われましたけど(笑)」

 自身、シングルファザーとして3人の子を育てた経験を持つだけに、いまになって親のありがたみが一層「身にしみる」と言う。

 そんな思い入れのあるカセットだが、いつ手放したのか記憶は定かではない。どこかのタイミングで母親が処分したのかもしれない。