「言論出版妨害事件」を起こすも
「適切な宗教団体」に変化

 創価学会は1930年に設立。池田氏は47年に入会し、60年に第3代会長に就任した。その後69年に、創価学会は政治との間で重大な問題を引き起こした。

 政治学者・藤原弘達氏の著書『創価学会を斬る』の出版を中止するよう、公明党が田中角栄自民党幹事長(当時)に働きかけていたことが発覚したのだ。いわゆる「言論出版妨害事件」である。

 共産党の機関紙『赤旗』による指摘をきっかけに、メディアはこぞって創価学会・公明党批判を展開。藤原氏に対して脅迫や嫌がらせがあったこと、公明党幹部が出版差し止めに向けて動いていたことなども明らかになった。

 藤原氏以外にも、批判本の執筆を試みたため妨害を受けた著者が多数いた事実も発覚した。公明党からの働きかけを受けた田中角栄氏が、出版中止の要請を行っていたことも明るみに出た。

 数々の事態の発覚を受け、創価学会と公明党・自民党の関係は「政教分離」に反すると批判された。

 そして、池田氏は事件について謝罪。(1)創価学会幹部の議員兼職を廃止すること、(2)池田氏自身は政界に進出しないこと、(3)公明党の自立性を高めること、(4)創価学会は党の支持団体の立場に徹すること――などを約束した。

 それから今日に至るまで、少なくとも表面的には、創価学会は政治への深い介入を行っていない。公明党の公式サイトにも「創価学会と公明党との関係は、あくまでも支持団体と支持を受ける政党という関係」だと明記されている。

 創価学会と公明党の関係性について、今も根強い批判があることは承知の上だが、筆者はこれを「適切な宗教団体」に変化した好例だと捉えている。

 というのも、例えば世界平和統一家庭連合(旧統一教会)は、高額な献金や霊感商法の問題が取り沙汰されて以降も真摯(しんし)な対応を怠り、組織を改革しようとする姿勢がなかった。そして今年、ついに政府の「解散命令」請求に至った。生き残るための変化をかたくなに拒んだ結果、“自滅”したといえる。

 他方で、池田大作という宗教家はそうではなかった。上記4項目のように、創価学会および公明党が生き残っていくための「現実的な路線」を模索し、柔軟に方針を切り替えたのだ。こういった姿勢からは、池田氏のリアリスティックな一面がうかがえる。