相次ぐ政策転換に
支持者がついてきた理由はやはり…
他の政党ならば、こうした政策の大転換に支持者はついてこない。社会党(当時)の村山富市元首相が90年代中盤に「自衛隊は憲法違反」「非武装中立」の党是を大転換し、自衛隊を合憲と認めた結果、同党が劇的に衰退したことが代表例だ。
しかし公明党では、党の方針転換に支持者が従ってきた。その背景には「信仰」があることは想像に難くない。信仰のよりどころとなっていたのは、やはり池田氏の存在だろう。
表向きは前述した4項目の改革によって、創価学会は政治への深い介入を行わなくなった。現代表の山口那津男氏をはじめ、公明党の歴代トップはもちろん池田氏とは別の人物である。しかしその裏側で、池田氏が影響力を持ち続けていたのは自明である。
教団および政党を存続・成長させるためなら「手のひら返し」を辞さなかった池田氏は、まさしく「政治的リアリズムの巨人」だったといえる。
池田氏の死によって
自公関係はどう変わる?
では、そんな池田氏の死去によって、自公関係が今後どう変化するかを考えたい。
かねて本連載では、両党は別れられない「腐れ縁」だと指摘してきた(第332回)。詳しくは後述するが、その考えは基本的には変わらない。
今、公明党は苦境にある。昨年の参院選では、かつて800万票を誇った比例票が618万票まで落ち込んだ。今春の統一地方選では、都道府県議会選挙などで「候補者全員当選」の目標を果たせなかった。公明党が誇ってきた組織力が、明らかに弱体化している。
そして現在の自民党は、政策協議などを通じて日本維新の会や国民民主党との関係を深めつつある。自民党が連立政権から公明党を外して、維新・国民と連立を組むという「連立入れ替え論」もささやかれている。
というのも、衆院では単独で「圧倒的多数派」を形成する自民党だが、参院では総定数248議席のうち117議席しか占めていない。過半数を確保するために、今のところは公明党の27議席を必要としている。一方で、維新・国民も勢力を拡大しており、前者は20議席、後者は13議席を獲得済みだ。数字の上では、このどちらと(あるいは両方と)組んでも連立の組み替えが可能である。