母の言葉
半年もすれば、島を統治するだけでは物足りなくなってきたようだ。ちょうどその頃、フランスでは、軍人たちの不満が鬱屈し、ナポレオンの再登板を望む声が高まっていた。ナポレオンは、エルバ島からの脱出を決意。ともに暮らす母に打ち明けると、こんな返事が返ってきたという。
「あなたの運命のままに行きなさい。あなたはこんなつまらぬ島で死ぬようには生まれついていないのです」
わが子の決意をこんなふうに後押しできる親が、どれだけいることだろうか。
ナポレオンは24才のときに、王党派を支援するイギリス、スペインなどの軍隊に占領されていた港町トゥーロンを取り戻して、頭角を現す。だが、その後、ジャコバン派の失脚によって、いったん閑職に追いやられた。そのときも母はこう励ましている。
「不運にめげないのが、立派で、高貴なことなのです」
ナポレオンが華々しい活躍を見せるのは、その後のことだ。ナポレオンの不屈の魂は、この母によるところが大きいのではないだろうか。
歓喜する民衆、逃亡する国王
ナポレオンは、数百名の兵を引き連れて、エルバ島を密かに脱出する。1815年3月1日にフランス東南端のジュアン湾に上陸。民衆から熱狂的な歓迎を受けながら、ナポレオンは兵たちにこう呼びかけた。
「兵隊よ! 流された島で、私は諸君の声を聞いた。私はあらゆる障害、あらゆる危険を冒してやって来た。諸君の将軍は、諸君に返されたのである!」
ナポレオンは、このときに、何一つ軍事活動を行うことなく、チュイルリー宮まで帰還。民衆の熱狂ぶりに、身の危険を感じたルイ18世はパリから退去することとなった。
イギリスに袖にされる
ナポレオンがまた新たな時代を築こうとしている。支持者はそう期待したことだろう。だが、帰還してから3ヵ月後の1815年6月、イギリスとプロイセンなどの連合軍を相手に戦うが、フランスは敗戦。このワーテルローの戦いに敗れたことで、ナポレオンは二度目の退位へと追い込まれる。
それでも諦めないナポレオンは、あろうことか戦って敗れたイギリスへの亡命を模索した。イギリスで実権を握る皇太子ジョージ4世にあてて、手紙で泣きついている。
「私の敵のなかで、最も強力でねばり強く、最も寛大である皇太子殿下。何卒わが身が、貴国の法律の保護下に置かれますようお願い申しあげます」
しかし、亡命が認められることはなかった。ナポレオンは絶海の孤島セント・ヘレナへと送られることになる。