近衛兵たちは島への同行を熱望
自分より遅れて、近衛兵たちが到着したときは、港まで迎えにいき、みなを感激させている。
フランスを発つ前に、この近衛兵たちには、フォンテーヌブロー宮殿で、ねぎらいの演説を行った。そのほとんどがエルバ島への同行を希望したという。 失業を避けたかったという事情はあるにせよ、それだけではないだろう。ナポレオンには「この人となら運命をともにしたい」と思わせる何かがあった。
そんなナポレオンの魅力は、たとえ社会的地位が落ちぶれても、失われることはなかったのである。
家族との時間
やがてナポレオンの家族が島を訪れるようになる。母親のレティッィアはコルシカ島に長くいたため、隣にあるエルバ島の気候も風土も気に入ったらしい。
皇帝まで出世したのは誇らしい一面、息子と十分な時間をとれないことは母親としても寂しかったことだろう。エルバ島で、久々に親子でゆっくりとした時間を楽しんでいる。のちにナポレオンの妹もこの島を訪れた。家族と向き合うには、これ以上ない環境だったに違いない。
内政面での実績
ポーランドの愛人マリア・ヴァレフスカも島にやってきた。ナポレオンは彼女に熱弁を振るったという。
「私は軍事的な勝利だけで記憶されたくはない。知ってるかい? 以前のパリには、ただ一つの下水道もなかったんだよ」
実際のところ、ナポレオンは、軍事的成功に引けをとらないほど、内政面でも確かな実績を残している。現代フランス社会の制度や組織は、その大部分がナポレオンの時代に基礎が築かれたものだ。もっと正当に民衆から評価されたい。そんな思いを抱いていたのだろう。ナポレオンは、このエルバ島でもう一度、統治者としてやり直そうとしていた。
打ち砕かれる妻子への思い
これだけ本心を吐露できる相手にもかかわらず、ナポレオンは愛人のヴァレウスカを早々と島から追い返してしまう。彼が会いたい相手は、ほかにいたからだ。妻のマリー・ルイーズである。こんな手紙を出している。
「この地は非常に気持ちがよい。私の健康は上々で、私は狩りを日課として暮らしている。君に、それから坊やにも会いたくてたまらないよ」
ナポレオンの妻といえば、ジョゼフィーヌがよく知られているが、子どもができなかったために離婚。ローマ皇帝フランツ2世とマリア・テレジアの娘マリア・ルイーザ(フランス読みで「マリー・ルイーズ」)と政略結婚を果たし、子どもももうけた。
離れて暮らす妻と子どもを、島で迎える日を楽しみにして、ナポレオンは準備をしていたという。だが、結局、妻子がこの島にやってくることはなかった。