全世界で700万人に読まれたロングセラーシリーズの『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史』(ワークマンパブリッシング著/千葉敏生訳)がダイヤモンド社から翻訳出版され、好評を博している。本村凌二氏(東京大学名誉教授)からも「人間が経験できるのはせいぜい100年ぐらい。でも、人類の文明史には5000年の経験がつまっている。わかりやすい世界史の学習は、読者の幸運である」と絶賛されている。その人気の理由は、カラフルで可愛いイラストで世界史の流れがつかめること。それに加えて、世界史のキーパーソンがきちんと押さえられていることも、大きな特徴となる。
数多くいる歴史人物のなかでも、とりわけ波乱万丈の人生を送ったのが、フランスの英雄ナポレオンである。映画『ナポレオン』(リドリー・スコット監督)が公開され、その生涯に改めて注目が集まっている(文:著述家 真山知幸)。
栄光に満ちた人生と早すぎた晩年
フランス革命後の混乱する情勢のなか、対外戦争で数多くの勝利を飾ったナポレオン・ボナパルト。
コルシカ島の貧しい生まれから、立身出世を果たして、フランス軍の指揮官として活躍。オーストリア軍に勝利したのを皮切りに、その連戦連勝ぶりは「12ヵ月に1ダースの勝利」「6日間で6戦連勝」と、マスコミに絶賛され、フランス国民を歓喜させる。
イギリスを除く全ヨーロッパをほぼ制圧するという、まさしく電光石火の勢いに、若き英雄の名は広く世界に伝えられることとなった。戦争におけるナポレオンのモットーとは、次のようなものである。
「華々しい勝利から没落への距離は、ただ一歩にすぎない」
どんな局面でも油断は大敵である……と気が引き締められるが、皮肉にも、ナポレオンは自身の人生をもって、この名言を裏づけることになる。フランスの皇帝まで上り詰めたナポレオンだったが、ロシア遠征で自軍を壊滅させてからは、人生が暗転する。流刑生活を送っていたセント・ヘレナ島にて51才で病死。寂しい晩年を送ったというイメージが強い。
だが、実際には、しぶとく人生を謳歌するナポレオンの姿がそこにはあった。
島に流されても意欲は衰えず
歴史に名を残す偉人は数多くいるが、ナポレオンほど落差が激しい生涯も珍しい。だが、あまり語られることのない、島での生活にこそ、ナポレオンの凄みがよく現れている。
皇帝から失脚したのち、ナポレオンは二度、島に流されているが、両者の意味合いはまるで違うものだった。二度目は流刑だったが、一度目は島の統治を任されている。
敗戦で疲弊した元帥たちに促されて、皇帝からの退位宣言に署名せざるを得なくなったナポレオン。それでも、失意の底に沈むことはなかった。
暗殺の恐れがあったので、変装して逃げるようにフランスを去りながらも、頭のなかでは次のビジョンを描いていたようだ。人口が1万4000人足らずのエルバ島に上陸すると、ナポレオンはこんなことを言った。
「これからの私にとって、島の住民こそ最大の関心の対象であり続けるであろう」
エルバ島の改革に乗り出す
その言葉通り、ナポレオンは、エルバ島の統治に大いに張り切っている。馬に乗って毎日のように島の見回りをして、気づいたことはどんどん改革をしていった。物流が盛んな港に税関をもうけて、幹線道路を整備。必要があれば、道路の新設工事にも着手した。
病院を増築して軍病院として使用できるようにしたかと思えば、荒地を開墾したり、養蚕業を導入したりと、ナポレオンらしく忙しなく動き回ったという。