二度目の島生活

 またもや島での生活を余儀なくされたナポレオン。セント・ヘレナ島では、商人の邸宅にある離れに仮住まいすることとなった。

 午前中は散歩か乗馬をして、昼には同行した部下に回想録を口述筆記させるのに熱中したという。食事は意外と豪勢なものだったようだ。ワイン50本、カモ4羽、ブタの丸焼きなどのほか、牛肉と子牛肉23キロ、パン31キロ、卵42個、牛乳15本、シチメンチョウ2羽、ガチョウ2羽、ハト12羽、ニワトリ9羽が、側近によって運び込まれていたことが、当時の目録からわかっている。

 夕食後には、読書をしたり、口述筆記をさせたりして、夜が更けると就寝という生活を送った。穏やかな生活のアクセントとなったのは、子どもたちだった。商人の邸宅には、10代の娘が2人とその弟がいた。少女の一人は、ナポレオンのことをこう振り返っている。

「ナポレオンほどいつも遊びの相手になってくれる人はいませんでした。あの人には子どものような単純さ、奔放さ、茶目っ気がありました」

「ナポレオンの心臓」

 島で穏やかな毎日を過ごしていたナポレオンだったが、一番会いたい人には、まだ会えずにいた。「あらゆる不自由のうちでも最悪なのは、妻子と離ればなれに暮らさなければならないことだ。これには、決して慣れっこになることはない」。やがて病を患い床に臥すと、ナポレオンはこんな遺言を残している。

「自分が死んだら体から心臓を取り出し、アルコール漬けにして、妻ルイーズのもとに届けてほしい」

 のちに、遺言を伝えられた妻のルイーズが困惑したことは、言うまでもないだろう。ナポレオンの心臓をめぐり、厄介ごとに巻き込まれることだけは避けたかったようだ。父親に「この世でわたくしが求めているのは平穏と平和だけなのです」と手紙を送って、ナポレオンの最期の頼みを断っている。

野心に生かされ、野心に殺された英雄

 ナポレオンは1821年5月5日に51歳で死去。死因は胃癌だったといわれている。大西洋の孤島で過ごした期間は、実に6年にもおよんだ。 ナポレオンが自身の野心をもう少しコントールしていれば、違った人生もあったのではないか……。そんなふうにも思ってしまうが、当人からすれば、大きなお世話だろう。自身の言葉にあるように、燃えたぎる野心こそが、彼を「英雄ナポレオン」にしたのだから。

「私が野心家だったというのか? 確かに私は野心を抱いていた。だがそれは、かつてないほど偉大で気高い野心だったのである」

【参考文献】
オクターヴ・オブリ編、大塚幸男訳『ナポレオン言行録』(岩波文庫)
ティエリー レンツ著、福井憲彦監修、遠藤ゆかり訳『ナポレオンの生涯 ヨーロッパをわが手に』(「知の再発見」双書)
城山三郎著『彼も人の子 ナポレオン―統率者の内側』(講談社文庫)
ゲルハルト・プラウゼ著、畔上司、赤根洋子訳『年代別エピソードで描く 天才たちの私生活』(文春文庫)