悩むシニア男性写真はイメージです Photo:PIXTA

若かりし頃の価値観に縛られたまま老いると、理想と現実のギャップに打ちのめされ、心身の不健康や挫折に陥ってしまう。そこで大事なのは、勝ち負けや社会的成功といった「形」を重視した発想から、「心」の安らぎに目を向ける生き方にシフトすることだという。本稿は、加藤諦三『「人生、こんなはずじゃなかった」の嘆き』(幻冬舎新書)の一部を抜粋・編集したものです。

高齢期になったら自覚的に
自らの運命を受け入れよ

 新幹線に乗って外の景色を見ているときにふと思った。沿線に見える豪邸も小さな家もそれほど違いがないのではないかと。どの家も一瞬のうちに通り過ぎてしまう。

 でも豪邸に住んでいる人の中には、広い敷地に得意になっている人もいるのだろうなと思った。

 そのときに、ギリシャの大富豪のアルチビデスがソクラテスに広大な土地を持っている自慢話をしたという逸話を思い出した。ソクラテスが世界地図を広げてアルチビデスに、この地図のどの辺なのですかと聞いたという。

 若い頃はアルチビデスの発想で頑張るのも良いだろう。しかし歳をとったら、巨万の富の空しさを知る生き方でなければ幸せにはなれないだろう。

「老いは凋落よりも成熟である」というのはソクラテスの考え方で生きている人である。そしてそういう人は驚くほどエネルギッシュに生きているものである。

 アルチビデスの価値観で生きている人にとっては「老いは凋落である」。たとえ世界地図に記されるほどの土地を持ったとしても、それを持ってあの世には行かれない。

 強いことに価値があると信じて生きてきた。その価値を実現するために努力した。その価値観の中で成長してきた。そうした中で自分の弱さを受け入れることは死ぬほど苦しい。だからアメリカのカルト集団ヘブンズ・ゲイトは集団で自殺していった。

 誰か信頼する人がいなければ、価値観は変えられない。

 強くなることで人生の課題を解決できると信じ込んで生きてきた。そういう人が中高年になって、自分の弱さを受け入れることはできない。自分の弱さを受け入れることで、人生の課題が乗り切れるとは思えない。そのような価値観の修正はできない。だから高齢になると頑なになるのである。

 お互いに不完全な人間であることを認め合おう。もう我が身をすり減らす必要はない。これで老年期に入っていかれる。

 弱さを受け入れることなしに老年期に入ると、挫折する。例えばうつである。あるいは不眠症や老人性イライラ等々である。

 歳をとってきたときに「積極的変化」は起きうるのか? それは「起きうる」というのが老人研究者たちの意見である。大切なのは基準変更である。

 それは自分の人生に責任を負う決断である。