「すべての科学研究は真実である」と考えるのは、あまりに無邪気だ――。
科学の「再現性の危機」をご存じだろうか。心理学、医学、経済学など幅広いジャンルで、過去の研究の再現に失敗する事例が多数報告されているのだ。
鉄壁の事実を報告したはずの「科学」が、一体なぜミスを犯すのか? 
そんな科学の不正・怠慢・バイアス・誇張が生じるしくみを多数の実例とともに解説しているのが、新刊『Science Fictions あなたが知らない科学の真実』だ。
単なる科学批判ではなく、「科学の原則に沿って軌道修正する」ことを提唱する本書。
その中から、今回は内容の一部を抜粋・編集して紹介する。

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「看守」役と「囚人」役の被験者たちの異様な様相

再現性の危機が呼び起こした批判の目は、心理学の過去の研究にも向けられ、同じように憂慮すべき結果となった。

心理学の研究でおそらく最も有名な実験のうちの1つに、1971年の「スタンフォード監獄実験」がある。

心理学者のフィリップ・ジンバルドーは、若い男性を「看守」と「囚人」のグループに分けて、
スタンフォード大学心理学部の建物の地下につくった模擬刑務所に1週間滞在させた。

ジンバルドーによると、実験開始から驚くべき早さで「看守」が「囚人」に懲罰を与え始め、
あまりにサディスティックな虐待になり、予定より早く実験を終了させなければならなかったという。

「状況が人間の行動を支配する」衝撃の結果

(中略)ジンバルドーの実験は、状況が人間の行動を支配する力を示す重要な証拠とされた。

善良な人を悪い状況に置くと、物事はあっという間にひどく悪い方向に進むというわけだ。

スタンフォード監獄実験は地球上のすべての大学の心理学部で教えられており、
ジンバルドーは現代の最も有名で最も尊敬される心理学者の1人となった。

イラクのアブグレイブ刑務所の捕虜虐待をめぐる米軍の元看守の裁判では、専門家として証言に立ち、
スタンフォード監獄実験の結果をもとに、「看守が置かれた状況と彼らに与えられた役割が、収容者に衝撃的な虐待や拷問をおこなった理由である」と説明した。

過去のイカサマ演出を暴かれ「科学的に無意味」に

スタンフォード監獄実験の意味するところは以前から議論されてきたが、
最近になってようやく、いかにお粗末な研究だったのかが見えてきた。

2019年に社会科学者で映画監督でもあるティボー・ル・テクシエは、
「スタンフォード監獄実験の偽りを暴く」と題した論文を発表。
ジンバルドーが実験に直接介入し、「看守」に振る舞い方をかなり詳細に指示している音声記録の未公開部分を書き起こした。

囚人にトイレを使わせないなど、非人間的に扱う具体的な方法を示唆するようすもうかがえた。

入念に演出されたこの「作品」は、明らかに、普通の人間が特定の社会的役割を与えられたときに何が起きるかという本質的な例からは程遠かった。

スタンフォード監獄実験の「結果」は長年にわたって多大な関心を集めてきたにもかかわらず、科学的には無意味だったのだ。

(本稿は、『Science Fictions あなたが知らない科学の真実』の一部を抜粋・編集したものです)