手術前の誓約書には、術後の後遺症について書かれた項目があり、説明を受けていました。でも、まさかここまでの事態になるとは、彼自身も想像していなかったことでしょう。この時、彼はほとんど何も見えず、声のするほうを見ても誰だか分からない、すぐ傍に何があるかも分からない真っ暗闇に突き落とされてしまったのです。

「大丈夫、大丈夫」

 呪文のように繰り返しながら、私は自らの恐怖心を抑えつけるように、ただひたすらに慎太郎の手を握っていました。日が落ちても、慎太郎はショックのあまり、ただじっと天井を睨み、動けない体を震わせておりました。

 涙すら、流れませんでした。

 私はどんな姿になろうと息子は息子である、変わりはないと思っていましたが、突然視界を奪われた息子にとっては、それすら悠長な言い分だったことでしょう。

 なぜ自分がこんな理不尽な仕打ちを受けねばならないのか。物言わぬ横顔が、怒りに染まっていました。

 たしかに命は助けてもらった。しかしこれから歩む道は、先の見えない、真っ暗なトンネルになってしまった。

当たり前だったことは
当たり前ではなかった

 この傷ついた横顔を、あの京セラドーム開幕戦の日に想像できただろうか。満員の観衆の中、輝かしい未来に向かってこの子がバットを振ったのは、つい去年のことじゃないか。

「どうして……」

 何度も言うまいと思ってきた言葉が口をついて出てしまいました。

「どうしてこんなことに……」

 喉の奥に、つっかえていた何かが迫り上がるような感覚に襲われ、私は慌てて立ち上がりました。そっと病室から出てトイレに行こうと思ったのですが、なぜか廊下の先のエレベーターに飛び乗りました。

 病院の最上階には、展望台があります。話には聞いていましたが、一度も上ってみたことはありませんでした。思いつくままに展望台のフロアに降りた私の目に飛び込んできたのは、眼前に広がる美しい大阪の夜景でした。

 窓ガラスに近づくと、遠くに観覧車と太陽の塔が見えます。そしてちょうど満開の造幣局の桜。ライトアップされて白々とした姿を浮かび上がらせています。あの有名な桜並木の下で、今頃大勢の人々がお花見をしていることでしょう。