高度化した知識社会では、製品や事業だけでなく、社会や個人の人生までも「最適化」すべきで、それが「成功」へのもっとも確実な方法だとされている。AI(人工知能)が驚くべき能力を獲得しつつあることで、この最適化圧力はますます強まっている。

 カイフー・リー(李開復)は台湾に生まれ、コロンビア大学でコンピュータサイエンスを学び、カーネギーメロン大学の大学院でAIを研究、アップル、マイクロソフトで勤務し、グーグル中国を立ち上げた。その後は中国のハイテク企業に投資するベンチャーキャピタルを設立し、著作がベストセラーになり、SNSでは中国で最大数のフォロワーをもつにいたった。「中国版イーロン・マスク」とでもいうべき成功者だ。

[参考記事]
●AIと共生することで生じるのは、ディストピアか豊穣の時代か?「20年後に実現可能な未来」とは?

 そのリーは、『AI世界秩序 米中が支配する「雇用なき未来」』(上野元美訳/日経BP日本経済新聞出版本部)で、自らの人生を振り返って次のように述べている。

 私は、成人してからの人生のおおかたを、常軌を逸したといっても過言ではない労働倫理に駆り立てられてきた。時間とエネルギーのほぼすべてを仕事に注ぎ、家族や友人との時間をほとんど取らなかった。仕事の達成感と、経済的価値を生み出す能力、世界への影響力を広げる自分の能力が、私の自尊心の源だった。
 より強力なAIアルゴリズムを作ることに研究人生を費やした。そして、自分の人生は、明確な目標を持つ一種の最適化アルゴリズムだと思うようになった。個人の影響力を最大にし、その目標に寄与しないものを最小にするという最適化アルゴリズムである。私は、“インプット”の平衡を保ち、アルゴリズムを微調整しながら、生活のあらゆるものを定量化しようとした。

AI社会の到来によって社会や個人の人生はどこまで「最適化」されるべきなのか?Photo:cba / PIXTA(ピクスタ)

愛は、アルゴリズムでは手に入らない

 AIのアルゴリズムを最適化することに職業人生を捧げ、自らの人生も最適化しようとしたリーは、50代になって大きな人生の転機を迎える。2013年9月、ステージIVのリンパ腫と診断されたのだ。

 死と直面したリーは、「(これまで)人間のように思考する機械を作ることに夢中になりすぎて、自分が機械のように考える人間になっていた」ことに気づく。

 私は、これまでの人生で家族との関係をないがしろにしたことはなかった。むしろその逆で、それぞれに厳密に時間を配分した。定量化し、私の目的を達成するのに必要な時間の最適な配分を計算した。いま私は、頭の中のアルゴリズムが、大切な家族のために“最適”とみなした時間があまりに少なかったことに呆然とし、取り返しのつかないものを失ったように感じていた。このアルゴリズム的考え方は、時間配分で“準最適”でなかっただけではない。私から人間味も奪ったのだ。

 リーは台湾・高雄にある佛光山寺の高名な仏僧から、「休みない計算、すべての定量化は、人間の内面や人々のあいだにあるものをダメにする。本当の人生を与えてくれるものを絞め殺す。愛を絞め殺すのだ」との教えを受ける。自らの死と向き合ったときにもっとも必要なもの、すなわち愛は、アルゴリズムでは手に入らないのだ。

 こうしてリーは“最適化”の限界に気づくのだが、この話には別の側面がある。リーは自らの病気について調べ、「インターネットを端から端まで見て、リンパ腫についての情報を片っ端から全部読んだ」。そして、イタリアの大学のある研究論文を見つけた。

 従来のリンパ腫のステージは単純ないくつかの特徴(「癌化したリンパ節は1カ所以上か」など)によって分類されていたが、その論文では変化する15種類の予測因子を分析し、5年生存率ともっとも強固な関係にある5つの特徴を特定していた。それを自分の症状にあてはめると、わずか50%だった5年生存率が89%に跳ね上がったのだ。

 この結果を台湾最高のリンパ腫の専門家のところにもっていったところ、ステージIVという診断は誤解を招くもので、彼の病気は治ることがわかった。リーは化学療法を受け、癌は寛解した。死と直面したリーは「最適化」の限界を思い知らされたが、彼の生命を救ったのはきわめて高い「最適化」能力だった。

 ロブ・ライヒ、メラン・サハミ、ジェレミー・M・ワインスタイン『システム・エラー社会  「最適化」至上主義の罠』(小坂恵理訳/NHK出版)を読んだとき、リーのこの話を思い出した。ライヒは倫理とテクノロジーの関係について考える哲学者で、「スタンフォード大学社会倫理教育センター」と「人間中心人工知能センター」の責任者を務めている。サハミはグーグル創世期のエンジニアで、セルゲイ・ブリンに登用されてEメールのスパムフィルタリング技術を開発し、現在はスタンフォード大学コンピュータサイエンス教授だ。ワインスタインはオバマ政権でオープン・ガバメント・パートナーシップを立ち上げた政治学者で、その後、スタンフォード大学政治学教授に就任した。

 この3人で本を書こうと考えた理由は、「スタンフォードの優秀な学生たちの気がかりな思考様式」だった。それが“最適化”だ。

「食事みたいにシンプルで重要なものが、どうしてあんなに効率が悪いままなのだろう」

 スタンフォード大学で、将来シリコンバレーのハイテク企業で働く(あるいはベンチャーを創業する)であろう学生たちと日々接している著者たちは、キャンパスの雰囲気をこう書いている。

(スタンフォードの)キャンパスではイノベーションやディストラプションといった言葉がもてはやされている。学生たちは、古いやり方はもはや役に立たず、テクノロジーが万能の解決策になったというユートピア的見解を公言するようになった。テクノロジーは貧困を終わらせ、人種差別を解決し、機会均等を実現し、民主主義を強化する能力を備え、さらには独裁政権の打倒にも役立つというのである。ある学生は、私たちに情熱をこめて次のように語った。「毎年の新入生オリエンテーションには、テック企業の億万長者を招きます。彼らは、この大学の新入生が何をなしうるかの模範であり、学生が望む人生を体現しているからです」。

 エンジニアリングを専攻する学生は自らを問題解決者と見なし、つねによりよい解決策を探し求めるよう教えられる。その結果、効率と最適化をとことん追求する傾向があらゆる領域や業界で中心的な役割を果たすようになったと著者たちは危惧する。その象徴が、「ソイレント」という粉末の栄養補助食品だ。

 シリコンバレーのある若いエンジニアが、「食事みたいにシンプルで重要なものが、どうしてあんなに効率が悪いままなのだろう」と考えた。彼はブログにこう書いている。

「僕の人生では、食事そのものだけでなく、そのための買い物と準備と後片付けに時間とカネと労力を費やさなければならない。やってられないよ。僕はまだ若いし、おおむね健康で、心身ともに充実している。減量なんてしなくていい。体重は維持すれば十分で、エネルギーを補給するために余計なエネルギーをかけたくない」

 そんな彼は、身体の維持に必要なビタミンや栄養素をブレンドした粉末をつくり、シェイクだけで1カ月を過ごすという実験を行なった。その体験を「僕はどのように食事とおさらばしたか」というブログ記事に書いたところ大きな反響があり、クラウドファンディングで商品化を企画すると目標の10万ドルがわずか2時間で集まった。

「ソイレント」という商品名は、人口過剰と資源枯渇が進行する世界で大豆(ソイ)とレンズ豆(レント)を原料とする新しい食品が開発されるという1966年の小説『人間がいっぱい』(ハリイ ハリスン/浅倉久志訳/ハヤカワ文庫SF)からとられた。だが多くのひとがこの名前から思い浮かべるのは、チャールトン・ヘストンが主演した1973年のSF映画『ソイレント・グリーン』だろう。

 映画の舞台は人口が増えすぎ、食料生産が追いつかなくなった近未来で、誰もがウエハースだけを食べて生きている。「ソイレント・グリーン」という名の合成食品の原料はプランクトンだと信じられていたが、映画の最後で秘密が暴かれる。人類の唯一の食料は人間の遺体が原料だったのだ。

 マーケティングのセンスがあるとは思えない商品名にもかかわらず、2014年、「ソイレント」はシリコンバレーの複数のベンチャーキャピタルの出資を受けて事業化された。Wikipedia日本語版には、「2016年10月、ソイレントのスナック・バーを食べて具合が悪くなった人が急増し、緊急救命室に行った人もいたため、製造元はスナック・バーの販売と出荷のすべてを停止すると発表した。また、その2週間後に、多数のユーザーが体調を崩したという報告を受けてパウダー式のソイレントの販売を停止した」とあるが、事業自体は現在も継続しているようだ。