AI(人工知能)研究者のカイフー・リー(李開復)はGoogle中国の元社長で、中国のスタートアップに投資するベンチャーキャピタルを設立して大きな成功をおさめた。2018年には『AI世界秩序 米中が支配する「雇用なき未来」』(上野元美訳、日経BP)が世界的なベストセラーになったことでも知られる。
「AIが社会に根本的なインパクトをもたらすことはもはやまちがいない」と考えるリーはその後、AIと共生する未来をより多くの読者に知ってもらうにはどうすればいいかを考え、Google時代の同僚でSF作家になったチェン・チウファン(陳楸帆)に声をかけた。チウファンは1981年生まれで、百度(バイドゥ)やGoogleに勤務しながらSF短編を雑誌に発表し、初のサイバーパンク長編『荒潮』(中原尚哉訳、早川書房)が『三体』の劉慈欣(リウ・ツーシン)から激賞された。
2021年に刊行された『AI 2041 人工知能が変える20年後の未来』(中原尚哉訳、文藝春秋)は、20年後の世界を舞台にチウファンが10篇の短編小説を書き、それにリーがテクノロジー解説をつける構成になっている。発売と同時に大きな評判を呼び、『ウォール・ストリート・ジャーナル』『ワシントン・ポスト』『フィナンシャル・タイムズ』で年間ベストブックに選ばれている。
どの物語も興味深いが、ここでは「大転職時代」「幸福島」「豊穣の夢」の3篇を見てみたい。いずれも遠い将来のことではなく、わたしたちの多くが体験するかもしれない「実現可能な未来」の話だ。
AIが普及するとごく少数の管理者以外、会社は労働者を必要としなくなる
2024年、アメリカでは左派(レフト)新政権が誕生し、ベーシックインカム(BI)の導入が決まった。財源は大富豪たちから徴収する富裕税で、それを全市民に毎月一定の給付金として支給することになった――というのが「大転職時代」の背景だ。
ところが2041年になると、一部からBI廃止論が唱えられはじめた。最初はよいアイデアに思えたが、やがて仕事がなくなった労働者たちが暇をもてあまし、VRゲームやオンライン賭博にはまり、ドラッグとアルコールの依存症患者で市街中心部は犯罪の温床になった。大企業や富裕層は郊外へ逃避し、失望の連鎖で自殺者が急増しているのだ。
「大転職時代」では、そんなディストピア的な世界で、ひとびとにすこしでも有意義な仕事を与えたいと苦闘する転職斡旋会社の創業者と若い女性スタッフが描かれる。
アメリカの経済学者カール・B・フレイが、「アメリカ人の仕事の47%は自動化されるリスクが高い」と主張していることは前回述べた。
[参考記事]
●生成AIの登場によって今後の20年はどうなるのか?「機械との競争」で失われる仕事、生き残れる仕事とは?
人工知能研究者であるリーも同様に、「人間の仕事の40%が2033年までにAIと自動化技術によって代替可能になる」と考えている。そのキー・テクノロジーがRPA(ロボティック・プロセス・オートメーション)だ。
RPAは「ソフトのロボット」で、従業員のコンピュータにインストールされると、人間がやることをすべて記録する。最初はスマートアシスタントとして、数字の計算、データのソート、書類記入、通知書の自動作成などの雑用を手伝っている。
だがRPAは学習能力があるので、多数の従業員が行なう単純作業や反復作業を見るうちに、やり方を覚えてどんどん賢くなっていく。そしてある時点で会社は、特定の作業については人間よりもロボットにやらせた方が生産性が高くなることに気づく。こうして多数の従業員が解雇され、会社は人件費を削減できる。
「従業員を100人採用する人事部の仕事を考えてみよう」とリーはいう。「最初にRPAにまかせられるのは履歴書の審査、業務内容の要件と応募者との特性のつきあわせなどだろう。これを担当する人事部の従業員が当初20人いたとすると、RPAが補助して審査業務が倍の速度で進むことで、担当者を10人減らせる。AIはさらにデータと経験から学習する。そしていずれかの時点でほぼ20人分の仕事をするようになるだろう。応募者とメールをやりとりし、面接の予定を組み、その結果を整理し、採否の判断をし、さらに業務について基本的な希望を聞くところまで、RPAはできるはずだ。アルゴリズムに代替させれば多くの従業員が置き換えられる」。
AIが採用業務をこなせるようになれば、いずれ人事部のほかの業務(新入社員の訓練、オリエンテーション、業務評価)にも人間以上の能力を発揮するようになるだろう。その後は財務、法務、販売、マーケティング、カスタマーサービスなど他の部署でも同じことが起き、ごく少数の管理者以外、会社は労働者を必要としなくなる。
「AIのゴールはあきらかに人間の業務の代替、つまり仕事を奪うこと」
AIは汎用技術なので、非社会的で単純作業の仕事、たとえば電話による販売業や保険の損害査定人は完全にとってかわられるだろう。多数の産業とさらに多数の業務で同時に大きな変化が起きるのは、認識系(ホワイトカラー)でも身体系(ブルーカラー)でも変わらない。
もちろん、すべての仕事がAIに置き換えられるわけではない。リーは、「AIが苦手な分野」として創造性、共感、器用さの3つをあげ、これらが要求される仕事では人間とAIが補いあうと予想している。
教育現場ではAIが宿題や試験の採点などの単純作業を行ない、授業も一人ひとりの生徒の適性に合わせたVRになるかもしれない。そんな学校では、人間の教師は「共感力のある精神的指導者」になる。
創造性が必要とされる職業では、人間のクリエイティビティをAIが補助することになる。リーはAIツールを使って創薬研究を加速する科学者を例にあげているが、イラストレーターやミュージシャンなども真っ先に作品制作にAIを取り入れるだろう。自分の過去の作品をAIに読み込ませ、登場人物のキャラや時代背景・世界観、おおよその筋立てを与えて物語を書かせ、それを手直しして発表する小説家も登場するかもしれない。
これを総合すると、AI時代に人間ができる仕事は、「認知系職業」では科学者、芸術家、芸能人、コラムニスト、エコノミスト、リサーチアナリスト、M&Aエキスパート、コンシェルジュ、ソーシャルワーカー、キャリアカウンセラー、広報/マーケティング・ディレクターなど、「身体系職業」では高齢者の訪問介護士、ヘアスタイリスト、理学療法士、犬のトレーナー、Uber運転手、トラック運転手、建設作業員、ハウスクリーニング業者、配管工などになるとリーは予想する。
また単純作業だがロボットよりも人間が好まれる仕事もあり、「認知系」では教師、家庭教師、ツアーガイド、結婚式プランナー、ホテル受付係、美容コンサルタント、高齢者の話し相手などが、「身体系」ではバーテンダー、高級レストランのウエイター、ファストフード店のウエイター、遊園地の接客係などは残りそうだという。
その一方で、AIに真っ先に代替されそうな職業もある。「認知系」では放射線科医、保険引受人、消費者ローン審査人、採用業務アシスタント、カスタマーサポート、電話販売などが、「身体系」では警備員、宅配便業者、ファストフード店の料理員、皿洗い、倉庫従業員、フォークリフト運転手、目視検査員などの仕事が近い将来、消滅すると予想されている。
もちろんAIの能力が上がっていけば、これ以外の職業の多くもいずれ機械に代替されていくだろうが、「AIにはなかなか習得できないと思われる職種もそれなりにあり、それを選べば労働者はキャリアを追求するのに比較的安全だろう」とリーはいう。
だがそれも一時しのぎにすぎず、「AIのゴールはあきらかに人間の業務の代替、つまり仕事を奪うこと」だ。「このままだとAIは21世紀の新たなカースト制度を生み出す」ことになるとリーは警告する。
その未来は、「頂点には一握りのAIエリートが君臨し、その下に比較的少数の特別な労働者がいる。彼らは多領域のスキルセットを持ち、戦略性とプランニングと創造力を多く発揮する(ただし賃金は低い)。その下は大多数の無力で苦しむ大衆だ」と描写されている。これは、ユヴァル・ノア・ハラリが『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』(柴田裕之訳、河出書房新社)で描いた神人(ホモ・デウス)と「無用者階級」の世界そのものだ。
こうして「1%の富裕層と99%の貧困層」に分断されるが、これでは社会が崩壊してしまう。国家は暴力を独占しており、マジョリティはいつでも民主的意思決定によって特定の個人や集団から合法的に富を奪うことができる。だとしたら、富裕層=為政者はなんらかの方法でこの事態に対処しなければならない。それが「豊穣の夢」に出てくる「ジャクルパ計画」だ。