我慢して奮闘した結果、壁を乗り越えられたという成功体験を持つ人は多いだろう。また、日本人は「我慢は美徳」という価値観を植え付けられる教訓やエピソードに出くわすことが多いはずだ。しかし、「経営の神様」と称された稲盛和夫氏は、「忍耐不要の人」だったという。その真意はどこにあったのか?(イトモス研究所所長 小倉健一)
我慢は「美徳」とされるし
私たちの経験則上も大切に思われるが…
我慢は、ビジネスの場や人生のシーンで、しばしば美徳とされている。我慢とは、粘り強さ。短期的な欲求の否定ともいえるだろうか。
例えば、海でいくら釣れるからといって乱獲をしてしまうと、次の年に収穫が困難になるケースがあるだろう。目先の利益に飛び付かずにグッと我慢することで、中長期的な収益を得る例は多い。
また、プロジェクトの立ち上がりなどでも、我慢というか、辛抱強さ、もしくは失敗を失敗とも思わない図太い神経が必要なときもあろう。新規事業において、まだ目の前が真っ暗な状況の中で我慢強さが発揮できなければ、うまくいく事業もうまくいかない。
さらに、人材登用もそうだろう。野球などのスポーツでも、結果は出ていないが、将来有望な選手にチャンスを与え続けるということはよくある。ここで、しゃくし定規に選手起用を行っていたら、そこで芽がつぶされてしまった一流選手もいたことだろう。
かくして、私たちの経験則、直感からも我慢の大事さが分かるというものだ。しかし、今回の記事は、まったく逆の結論を導き出すものである。
「適度な忍耐の価値」を研究した論文と、「経営の神様」と呼ばれた稲盛和夫氏の「我慢観」に基づいて、その結論をお伝えしたい。