シン・稲盛和夫論Photo:Yuichiro Chino/gettyimages

あまり知られていないが、稲盛和夫氏は科学で説明できない超常現象や超能力などに、大きな関心を示していた。連載『シン・稲盛和夫論』の本稿では、当時の記者の証言などを基に、経営哲学の背景をひもといた。(ダイヤモンド編集部 竹田幸平)

“稲盛イズム”が
宗教的なのは必然?

 上場企業同士の電撃的な異業種合併として話題を呼んだ、京セラとカメラメーカー、ヤシカとの合併劇。この発表を翌日に控えた1983年3月30日の夜、稲盛和夫氏が「超能力実験」の現場に立ち会っていたことはご存じだろうか。

 京都の会員制クラブに超能力を持つという大学生の青年を招き、数十人もの経営者が集まって、その様子を見守っていた──。

 同年9月、「超能力と経営」と題した経済誌・日経ビジネスの記事で、こうしたいきさつを詳報したのが元日本経済新聞記者の小池洋次氏だ。小池氏は、第二電電設立の事実を発表前につかむなど、約40年前には記者として稲盛氏に深く食い込んでいた。

 その小池氏が関係者に聞いて回ると、前出の青年は、衆目の前で目隠しをしたまま、字や形をきれいに書き写したのだという。同氏は「あまり知られていないが、稲盛氏は科学で説明できない超常現象や超能力などに、大きな関心を示していた」と語る。

 次ページでは、稲盛イズムが宗教的なのは「必然」と言える理由について、衝撃を受けたとされる幼少期の経験や、その死生観から明らかにする。