シン・稲盛和夫論Photo by Masato Kato

「経営の神様」と称される稲盛和夫氏だが、その人生は順風満帆とは程遠い。連載『シン・稲盛和夫論』の本稿では、側近を約30年務めた大田嘉仁氏(本連載『稲盛和夫直筆の草稿を初公開!30年前「副官」に渡した手書きメモの中身とは?』など参照)が、知られざる稲盛氏の生きざまや教えを明らかにする。(聞き手/ダイヤモンド編集部 竹田幸平)

あなたも稲盛和夫になれる!?
30年来の側近が明かす人生譚

――稲盛和夫氏は京セラやKDDIを創業し、日本航空(JAL)再建を果たすなどの功績がありますが、生前は自身が神格化されるのを嫌がっていたそうですね。

「稲盛和夫だからできた」「稲盛さんは特別だ」などと言われると、普遍性があることの否定にもつながる、という話をよくされていました。個人的に印象的なエピソードは、京セラの創立50周年(2009年)のタイミングで、創業の精神を伝えるためのビデオを作った時のことです。

 撮影用に稲盛さん(当時京セラ名誉会長)の取材を行った場に同席したのですが、私が「お金も設備もない時も京セラが素晴らしい新製品を次々出せたのは、稲盛名誉会長が天才的な技術者だったからですよね」と言ったら、めちゃくちゃ怒られました。「俺は天才でも何でもない、誰にも負けない努力をしたと何回も話をしたはずだ」と。この一件からも分かる通り、稲盛さんは「努力の人」だったと思います。

 稲盛さんの親友で幼なじみの方に聞いても、小学校の時はまじめで優秀だけど目立たない少年だったそうです。私は稲盛さんと偶然にも同郷(鹿児島市薬師町)で、通っていた小学校(西田小学校)も同じでした。以前、感想文などを書いた同窓会誌を見せてもらったことがあるのですが、稲盛さんの思い出話を書いている人はほとんどいませんでした。

 稲盛さんは成績が良かったので、鹿児島一中という当時のエリートコースの旧制中学校を受験しますが、失敗して浪人してしまいます。さらに、1年後の受験でも失敗し、相当な屈辱感や劣等感を味わったはずです。後に「経営の神様」と言われるほどの人でも、子どもの頃から「神童」のような存在だったかというと、全然違ったわけですね。

あなたも稲盛和夫になれる!? 元側近が語る「実は失敗だらけの人生譚」おおた・よしひと/元京セラ常務秘書室長、元日本航空会長補佐、元MTG取締役会長。京セラ入社後、秘書室長、取締役執行役員常務などを歴任。元日本航空会長補佐。稲盛和夫氏の側近を約30年務め、同氏が「私の副官」と呼び絶大な信頼を寄せた。 Photo by M.K.

 しかもその頃は、肺浸潤という結核の初期の病を患って、死の淵をさまよう経験もしました。すると隣家の女性から(生長の家の谷口雅春が書いた教義本)『生命の實相』を読むよう勧められ、その年で読破した話がよく知られています。特に「心に描いたものがそのまま現象となって現れる」という内容に、強い衝撃を受けたという話は有名ですね。

 結核に罹患(りかん)したという経験から、大阪大学医学部で薬を開発したい夢があったそうですが、大学受験にも失敗し、鹿児島大学の応用化学を専攻します。そして、就職活動では当時の花形だった石油産業を志望(第一志望は帝国石油)するも、念願かなわず。大学の先生から京都の(絶縁磁器部品の)松風工業を紹介されて入社しました。

 しかし、入社してみると赤字続きで給料も低い。一度は辞めようとしますが、心を入れ替えて、与えられた仕事に寝食を忘れて没頭します。すると、ファインセラミックスの技術者として日本で初めて、フォルステライトの合成に成功するという研究成果を上げます。ただしその後、上司から「君の力ではここまでだ」と突き放され、そこでも屈辱的な思いをした後、京セラ創業に至るのです。

 このように挫折続きで、みじめとも言えるほどの青年時代を過ごしました。よく稲盛さんは「宝くじを買っても絶対に当たらない、それぐらい運に見放されているんだ」と言っておられました。それでも明るさを失わずに、前向きに努力を続けたのですね。

 創業後も初年度から黒字を出しますが、3年目には前の年に採用した高卒社員11人から待遇改善を要求され、三日三晩説得することに。その時に、会社の経営は「社員の幸せを追求するためにするもの」だと自覚しました。

『生命の實相』から「すべての現象は心の反映」と学んだ結果、善き思いでいなければとの考えもあったでしょう。挫折のたびにいろいろなことを学んでいったわけです。京セラも順調に成長したように見えますが、実際はいくつかの苦難にも直面しています。それでも、明るく前向きな姿勢は変わることはありませんでした。

 薩摩藩出身の西郷隆盛の座右の銘は「敬天愛人」(編集部注:京セラの社是でもある)ですが、西郷さんも2回にわたり、島流しの苦汁をなめています。それでも天を敬い、人を愛するという点は、稲盛さんも同じだったのではないでしょうか。

 つらい経験をしても卑屈になったり、暗くなったりせず、天をうらまず、人を憎むこともない。そう在りたいと思い、そういう生き方をすれば、誰でもいい人生を送れる、というのが稲盛さんからのメッセージだったのではないかと思います。

――稲盛流経営は社員にモーレツな働き方を求め、ワークライフバランスを重視する現代には合わないとの見方もあります。

 そこは誤解されやすい点かもしれません。

次ページでは、今なお産業界に影響力を及ぼす「稲盛流経営」の教えについて、「副官」として間近で稲盛氏に仕えてきた大田氏が知られざるエピソードと併せて明らかに。社員の働き方、「アメーバ経営」が現場の自主性を重んじる理由、人間味にあふれた一面などを述懐し、現代にも通じる経営や生き方の原理原則を説く。