稲盛和夫「兄弟座談会」を開催!鹿児島王将で末っ子経営者が“無借金の教え”を守った理由Photo by Kohei Takeda

京セラやKDDIを創業し、日本航空(JAL)を再建に導くなど「経営の神様」と称される故・稲盛和夫氏。松風工業への就職で京都に出るまで、7人の兄弟姉妹の次男として鹿児島で生まれ育った。そんな故郷の地でこのほど、末っ子(四男)の稲盛実さん(鹿児島王将相談役)、三女の照子さん、次女の美智子さんが鹿児島市内で一堂に会し、「きょうだい座談会」を初開催。連載『シン・稲盛和夫論』の本稿では、兄弟姉妹の目から見た和夫氏の素顔や知られざる逸話について、語り尽くしてもらった。(ダイヤモンド編集部 竹田幸平)

稲盛和夫の「きょうだい座談会」を開催!
末っ子に諭した「借金と税金」の教えとは?

――稲盛実さんは「鹿児島王将」を立ち上げて以来、長らく経営に携わってきましたが、どういう経緯で設立に至ったのでしょうか。

稲盛実さん(以下、実) 和夫兄貴の嫁さんの弟(和夫の義弟)が以前、京都王将で働いていたんですね。僕は長男(利則)が専務をしていた製菓店で数年働いた後、(和夫が興した京セラの)鹿児島川内(せんだい)工場へ移りました。そこで働いて10年目になった頃、親の面倒を見るため、鹿児島市内の実家へ戻ることになりました。

 そしたら川内まで通うのも大変だろうといって、兄貴(和夫)がその方(義弟)に「わるいけど鹿児島に行って、うちの弟と王将をやってくれないか」という話をしてくれたんです。

 それで、その方(義弟)へ家族と一緒に京都から鹿児島に来てもらい、一緒に始めたのが発端ですね(編集部注:鹿児島に「餃子の王将」ができたのは、稲盛和夫が弟たちのために、京都の「餃子の王将」へのれん分けをお願いしたのがきっかけ)

(稲盛和夫・7人きょうだいの生まれ年)※敬称略。◆が今回の対談参加者
故・利則(長男)昭和4年生誕 元京セラ専務
故・和夫(次男)昭和7年生誕(享年90歳)京セラ・KDDI創業者
故・綾子(長女)昭和9年生誕
美智子(次女)昭和12年生誕
豊実(三男)昭和16年生誕 鹿児島王将代表取締役
照子(三女)昭和19年生誕
実(四男)・昭和23年生誕 鹿児島王将相談役
美智子さん(次女)、実さん(四男)、照子さん(三女)次男だった稲盛和夫の7人きょうだいのうち、鹿児島在住の3人に対談してもらった。左から美智子さん(次女)、実さん(四男)、照子さん(三女)。三男の豊実さんは京都在住で鹿児島王将の代表取締役を務めている。 Photo by K.T.

 そこからお店を借りて部品や設備を入れたり、材料をそろえたりして、(1978年に)鹿児島市内の中町店で開業しました。でも、当時は「王将」と言っても、九州にはどこにもないし、知名度がありません。そこでお店の近所の家を一軒一軒巡り、餃子の無料券を配るなどするうちに、鹿児島大学の学生をはじめ、徐々にお客が広がっていきました。

 あんちゃん(和夫)は鍋の調理なんかはできないけど、開店したての時は、お客の呼び込みなんかを手伝ってくれましたね。その頃は、川内工場(1969年新設)や国分工場(1972年新設)があったので、京セラ関係の方々にも、食べて行ってねと声をかけてくれたようです。

1978年に開業した「鹿児島王将」最初の店舗となる中町店1978年に開業した「鹿児島王将」最初の店舗となる中町店(鹿児島市) Photo by K.T.

――経営に関して、和夫さんから言われて印象に残っていることはありますか。

 僕が小さい頃から、「借金はするな」とよく言われましたね。

次ページ以降では、鹿児島王将を経営する中で末っ子の実さんが言われた兄(和夫)からの「借金」や「税金」に関する教え、稲盛流経営を語る上で欠かせない「コンパ」の原点ともいえるエピソードなど、兄弟姉妹の目から見た稲盛和夫氏の素顔や知られざる逸話について、語り尽くしてもらった。