それに対して、必殺/仮面ライダーは、「裏の顔」へと変身する。例えば「必殺」の中村主水は、日頃は正義感のかけらもないぐうたらの「昼行灯」と揶揄されるような人物であるが、最後の仕置/仕事の際にはシリアスで悪を許さない優れた剣客へと姿を変える。もちろんこれを仮の姿から真の姿への変身と見ることも可能だ。だが重要なのはそれが、「隠すべき裏の顔」への変身であることだ。
それは仮面ライダーにも共通している。仮面ライダーはあくまでショッカーによって生み出された改造人間である。それらは超越的な権威ではなく、下手をすれば悪と交換可能な存在である。ライダーたちと仕事人たちは、基本的には身近な人間に対して、裏の顔を隠そうとする。
河野真太郎 著
この「変身」の違いが表現しているものは何だろうか。それは、官僚制度に対する姿勢の違いである。
確かに、両方において官僚制は不調を来している。「ウルトラ」シリーズの場合は科学特捜隊=自衛隊の無力、「水戸黄門」シリーズの場合は地方の役人の腐敗、「仮面ライダー」シリーズの場合はショッカーの存在とそれを取り締まる公権力の不在、「必殺」シリーズの場合も悪を公の司法が取り締まれないこと。
だが、その不調の解決の仕方がこれらの2系統においては完全に異質なのだ。前者はウルトラマンと徳川家の印籠というさらなる上位レベルの官僚権力が介入して問題を解決するのに対して、後者は個人としてのヒーローたちが法の外側へと逸脱し、下から、というより裏から問題を解決するのである。前者においては官僚制は信じられ、後者では官僚制は根本的に不調なままである。