50代の平凡な男が主役になれる
ドラマがほかにあるだろうか

 公営ギャンブル場にいると、レースが始まるまで、そしてレースが行われている間は、私やあなたが見つめる競走馬や選手が主役です。当然です。彼らが何を考えているのか。勝ちたいのか、勝たなくていいのか。

 それぞれの競技者の思惑が、頭の中を映画のように駆け抜けます。

ゴールイン。
勝った!
おめでとう!!
勝たなかった......。
何やってんだコノヤロー、死んじまえ!!

 歓声と野次の中を、選手は控室へ帰っていきます。

 ところが、そこから新たなドラマが始まります。たとえ一レース100円や200円の投票だったとしても、レースが終わった途端、ドラマの主役は、レースをしている者たちから、投票した自分自身に、視点がガラリと変わるのです。

 主役は、あなたや私、自分自身になります。的中した自分、外した自分。熱狂した自分、涙した自分。潤った自分、持ち金を減らした自分。すごい自分、情けない自分。次のレースに賭ける自分、自分を信じられない自分、自分、自分、自分。

 次のレースのファンファーレが鳴るまで、ギャンブル場の中では自分自身がドラマの主役です。そこであなたはどう振る舞いますか。どんな人間を演じますか。誰も観ていないかもしれませんが、今こそ、あなたが主人公です。

 たとえば50代をすぎて、スター俳優かベンチャー企業の社長でもない限り、ドラマの主役の気を味わえることなんてありますか?その気分を庶民にも味わわせてくれるのが、公営ギャンブル場です。そんなことから、私にとって公営ギャンブルは、50代、60代の中高年に希望と勇気を与えてくれるエンタメではないかと思っています。

 一日3000円の損得でも、そんなふうに人生は豊かになるのです。競技の主催者にすれば、もっと投票にお金を使ってよ、と訴えたいでしょう。もちろん、遊ぶお金に余裕のある人は、家計が破綻しない程度に大金を使えばいいと思います。小遣いに余裕のない人にはない人なりの楽しみがあり、傷つかず苦しまない少額での投票でも許されるのが公営ギャンブル場なのです。