新疆について語ることは難しい。正式名称は「新疆ウイグル自治区」だが、そもそも「新疆」と呼ぶべきかについても意見の相違がある。
新疆は“new territory”のことで、中原(ちゅうげん/中華文明発祥の地である黄河中下流域)から見て、西の境界(疆)の向こう側を意味する。これは中国を世界の中心とする中華思想で、「新疆」には文明社会(中華)に属さない夷狄(いてき)や蛮族の地という含意があるので、「ウイグル(自治区)」の呼称を使うべきだという。そこは本来、ウイグル人の国(ウイグルスタン)だという意味も込められているのだろう。
この主張にも一理あるとは思うが、実際に新疆を旅してみると、話はそれほど簡単ではないと思わされる。この地にはウイグル人のほかに、カザフ人、キルギス人、タジク人など、ほかにも多くの少数民族が暮らしている。漢族が圧倒的なマジョリティである中国ではウイグル人は少数民族だが、新疆では(少数民族のなかの)多数派なのだ。
「新疆ウイグル自治区」のタシュクルガンは「少数民族のなかの少数民族」であるタジク人の町
シルクロードの時代から栄えた新疆西部のオアシス都市カシュガルから天山山脈を登ると、タジキスタンとの国境近くにタシュクルガンというタジク人の小さな町がある。中国の清明節(先祖を供養する祝日)だったこともあるが、5月でも朝の気温が氷点下になる標高3500メートルの最果ての地にも漢族の観光客が押し寄せていた。その多くはウルムチなど新疆の都市部で暮らし、連休を利用して辺境まで足を延ばした若者たちだった。
タシュクルガンの名物はヤク(牦牛)の火鍋で、町の中心にたくさんのレストランが集まっている。2010年頃の旅行記を読むと、カシュガルから西は完全なイスラーム世界だったようだが、いまはモスクからアザーンが聞こえてくることもなければ、(全身を覆う)ブルカはもちろん、髪を覆うヒジャブ(スカーフ)をつけた女性を見ることもない(白いイスラーム帽をかぶった男性もいない)。
レストランの前には高級車が駐められていて、タジク人の女性が運転席から降りてくる。ウイグル人の多いトルファンでは、観光客相手の夜市(露店)でも中国語を話すスタッフが店に1人しかいないこともあったが、ここでは誰もが、同行した中国の知人が驚くほど流暢な中国語を話す。
タジク人の民族舞踏が見られる店は午後8時を過ぎると満席で、食事をあきらめて踊りだけを見に来る客もいた。最後に客も一緒になって踊るのだが、タジク人はみな子どもの頃から歌と踊りで育ってきたらしく、カップルで来ていた若い女性が見事なダンスを披露して喝采を浴びていた。
タジク人の町に一泊しただけでなにがわかるのかといわれるかもしれないが、その光景を眺めていて、このひとたちは、自分たちの土地が中国の一部であることにどれほど不満をもっているのだろうかと疑問に思った。
地元で訊くと、レストランやホテルなど観光客相手のビジネスはほぼすべて漢族の経営で、タジク人はそこで働いているだけだという。だがそれでも、国境を越えたタジキスタン側と比べれば、ひとびとの暮らしがずっとゆたかなのは間違いない。――私はタジキスタンに行ったことはないが、山奥の町で新車を運転する女性がどれだけいるだろうか。
漢族の旅行者がやってくるのは、ここが中国領だからだ。だからといって中国による「支配」が正当化されるとはいわないが、新疆を論じるのなら、「少数民族のなかの少数民族」である彼らの声も聞いてみるべきではないだろうか。
すくなくともこのタジク人が、新疆が中国から独立して「ウイグルスタン」になったり、分離してタジキスタンといっしょになったりすることを望んでいるようには思えなかった。