大企業の社長や起業家、科学者など、いわゆる社会的に成功した方々にたくさん取材する機会を得てきました。その数は、3000人を超えています。誰もが知る有名な会社の社長も少なくなく、「こんな機会はない」と本来のインタビュー項目になかったこともよく聞かせてもらいました。インタビューで会話が少しこなれてきているところで、こんな質問を投げかけるのです。
「どうして、この会社に入られたのですか?」
数千人、数万人、中には数十万人の従業員を持つ会社の経営者、あるいは企業を渡り歩いて社長になった人となれば、仕事キャリアに成功した人、と言って過言ではないと思います。仕事選び、会社選びに成功した人、とも言えるでしょう。ところが、そんな人たちの「仕事選び、会社選び」は、なんともびっくりするものだったのです。
本記事は、『彼らが成功する前に大切にしていたこと 幸運を引き寄せる働き方』上阪 徹(ダイヤモンド社)より、抜粋してご紹介いたします。
松本大さんは、世の中は不確実なものと思っていた
この人の選択も、かなり「逆張り」だったのかもしれません。マネックス証券の創業者、松本大(おおき)さんです。東京大学法学部卒業後の1987年にアメリカのソロモン・ブラザーズ・アジア証券に入社。1990年にゴールドマン・サックス証券に転じ、1999年にソニーと共同でマネックス証券を設立しました。
今でこそ、外資系金融は人気の就職先の一つになっていますが、当時はまだまだマイナーな存在でした。しかも1987年といえば、バブル前夜の日本経済の絶頂期。日本の銀行が、大きな存在感を示していた時代だったのです。
しかし、松本さんは冷静に見極めていました。もともと世の中は不確実なものだと思っていたからです。特に理由があるわけではなかった。学生の頃から、肌で感じていたのだそうです。
松本さん自身はサラリーマン家庭に生まれ、保守的に育てられていました。どちらかというと、冒険とか、新しい展開とか、そういうものを考えるような環境にはありませんでした。
ところが大学時代、ある友人の家族との付き合いが松本さんに変化をもたらすのです。友人の家は事業家でした。世の中は、決められた選択肢の中でしか生きられないわけではない。彼らは、そんな思いを十分に抱かせてくれたのだと言います。
松本さん自身も、不確実で流動的な世の中であってほしいと思っていたのかもしれない、と語っていました。こうに違いない、こうでなければならない、という固定化した発想を持ちたくなかったのです。
働くことについて20代から考えていたことは、「自分の力をどれだけ最大限に発揮できるか」こそが重要だということ。もともと競争心が強く負けず嫌い。自分がどれだけ吸収できて、どれだけ新しいものを生み出せて、結果としてどれだけ効率よく自分の力が出せたかに、強い興味を持っていたといいます。
ゴールドマン・サックス時代には、30歳で史上最年少のゼネラル・パートナーになっています。しかし、株式公開直前に退職し、起業します。もう少し待っていれば巨額の資産が入ったのに辞めてしまったことも話題になりました。
もともと会社を作りたいとか、起業したいとか、そんなふうに思ったことは実は一度もなかったそうです。ところが、1998年にインターネットに詳しい人と知り合い、インターネットが時間も場所も共有しなくてもいい効率的なインフラであり、これがほとんどのビジネスを再構築していくだろうと感じることになります。
とりわけ金融の世界では、インターネットを使った直接金融ビジネスが極めて重要になると思った。当時勤めていたゴールドマン・サックスにこの事業を始めるべきだと提案するのですが、個人対象のビジネスはできないと言われてしまいます。それで、自分でやることにしたのです。
あの時点では、ネット金融ビジネスこそが自分の馬力を最大限に発揮できるステージだと確信していたと言います。一方で証券ビジネスでは、手数料自由化が1999年10月と決まっていた。時間軸という座標が、さらに起業の後押しをしたのです。
※本記事は『彼らが成功する前に大切にしていたこと 幸運を引き寄せる働き方』上阪 徹(ダイヤモンド社)より、抜粋して構成したものです。