米大統領選の選挙活動を成功させるには、優れた映画のように、視聴者である国民の側が自発的に疑念を封じ込める必要がある。スクリーン上では、思いも寄らないストーリー展開や肉体的に不可能なスタントの演技、うっとりするほど美しい登場人物ばかりの状態が、現実の人間ドラマとは懸け離れていることを、われわれは知っている。それでも疑念を捨てるのは、そうした不合理な装飾を超越したどこかに、われわれの希望や恐怖をしっかりと物語る核心的真実があると感じているからだ。大統領選の選挙活動も同様だ。われわれが聞かされている信じがたい公約の全てを信じている人は、ほとんどいない。どの候補者も、彼らが自称する模範的な国家指導者ではない。どうしても欠陥のある人物に1票を投じ、まだ多かれ少なかれ特別な人だけに認められるとされる、世界を木っ端みじんにする力といった権力をその人物に与えるには、われわれの大半が決して実際に知ることができない人物をやみくもに信じることが必要だ。