“凶暴熊”が生息する山をギヤ1枚で登らせる…「地上最強を決める自転車レース」をつくった“古き良き不適切な大人たち”(c)A.S.O. Charly Lopez

「自転車でフランスを一周する」というスポーツ新聞社の奇想天外な企画から生まれたツール・ド・フランスはいかにして世界最大級のスポーツインベントになったのか。1日の走行距離326km!? 凶暴熊の生息地をコースに!? 標高2115mをギヤ1枚で登坂!? 今の常識では考えられない“古き良き不適切な”ツール・ド・フランスの伝説を振り返る。(取材・文/スポーツジャーナリスト  山口和幸)

ポガチャル圧勝
2位ビンゲゴーに1分08秒差

 ツール・ド・フランスがどうして世界最高峰の自転車レースとなったのか? 「ツール・ド・フランス2024の副読本」の最初の記事で真っ先にその理由を挙げてはみたが、それを決定的にした具体策はピレネー山脈の峠をコースに加えたことだった。2024年の第111回大会でもその伝説的な峠が待ち構えていた。

“凶暴熊”が生息する山をギヤ1枚で登らせる…「地上最強を決める自転車レース」をつくった“古き良き不適切な大人たち”(c)A.S.O. Charly Lopez

 フランス革命記念日の7月14日、ピレネー山脈での2日目。ルダンベイユをスタートし、197.7kmを走ってスキーリゾートのプラトードベイユにゴールする第15ステージ。総合1位の黄色いリーダージャージ、マイヨジョーヌを着用するタデイ・ポガチャル(スロベニア、UAEチームエミレーツ)がこの日も圧倒的な強さを見せつけて、総合2位のヨナス・ビンゲゴー(デンマーク、ビスマ・リースアバイク)に1分08秒差をつけた。総合成績は3分09秒差と広がり、ポガチャルは3年ぶり3度目の総合優勝に一歩近づいた。

過酷になるほど盛り上がる!
暴走気味になった主催者たち

 1903年に始まったツール・ド・フランスは、当初はフランス各地の大都市を巡礼の旅のようにつなぎ、六角形をした国土のアウトラインを忠実にめぐる一周ルートだった。

「自転車でフランスを一周する」というスポーツ新聞社の奇想天外な企画が多くの人たちの興味と共感を呼び、大会は大成功するのだが、主催者はさらなる話題づくりのためにとんでもないことを考えついた。当時、自転車で上ることなどだれひとりとして想像できなかったピレネー山脈の峠をコースに加えたのだ。

 1909年に主催者はピレネーにある4つの峠、オービスク、ツールマレー、アスパン、ペイルスールドをコースに加えた。自転車の変速機を製造する大阪府堺市のシマノが創業したのは1921年。最初はギヤと呼ばれる歯車だけを作っていた。つまり20世紀の初めは変速機なんてものはなかったのである。

 それどころか、ピレネーには凶暴な熊が生息している山岳地帯なので、選手たちが襲われるのではと本気で心配された。実際に出場選手たちは、1枚ギヤで急しゅんな峠を上ることになり、こんな山岳ステージを設定した主催者に恨み節をはきながら死に物狂いでゴールを目指したという。