「印象派というのは聞いたことがあるけれどよくわからない」……そんなあなたにおすすめなのが、書籍『めちゃくちゃわかるよ!印象派』。本書は、西洋絵画の巨匠とその名作を紹介するYouTubeチャンネル『山田五郎 オトナの教養講座』にアップされた動画の中から、印象派とそれに連なる画家たちを紹介した回をまとめたもの。YouTube動画と同様に、山田五郎さんと見習いアシスタントとの面白い掛け合い形式で構成されています。楽しみながら、個々の画家の芸術と人生だけでなく、印象派が西洋絵画史の中で果たした役割まで知っていただけます。
今回から3回連続で「農民だけを描きたかったわけじゃない農民画家ミレー」についてお届けします。

実は宗教的意味が隠されていた『落ち穂拾い』

『落ち穂拾い』や『晩鐘』など、農村の労働を描くことで写実主義を、戸外で描くことで印象主義を先取りしたと言われる「農民画家」ミレー。でも、彼が描いたのは美化された農村風景で、戸外で描いたのは主にスケッチ。「農民画家」と呼ばれることにも、本人は満足していませんでした。

山田五郎(以下、五郎) 印象派は戸外の光で描いた点が新しいというと、「風景を戸外で描くのは当たり前でしょ」と反論されるけど、1841年にチューブ入り絵の具が発明される以前は、風景画もアトリエで油絵に仕上げていたんですよ。で、印象派に先駆けて戸外で風景を描きはじめたのが、1830年頃からパリ近郊バルビゾン村に移住した画家たち。中でも有名なのが日本でも人気のジャン=フランソワ・ミレーで、彼の代表作がこの『落ち穂拾い』です。

【山田五郎さんに聞いてみた】ミレー『落穂拾い』。なぜ落ちた穂を拾っているの?

アシスタント(以下、アシ) 知ってます! ところで、落ち穂って何ですか? 稲穂のこと?

五郎 米じゃないよ、麦。フランスなんだから(笑)。

アシ あ、そっか(笑)。

五郎 それはそれとして、この人たちは、なんで落ちた麦の穂を拾ってるんだと思う?

アシ 畑を掃除してるんですかね?

五郎 結果としてはそうなるけど、掃除が目的じゃない。奥のほうを見ると、刈り取った麦わらの山ができてるでしょ。で、そっちには男性もいるけど、手前で落ちた穂を拾ってるのは女の人ばかり。なんで落ちた穂を拾ってるのは女の人ばかりなんだろう?

アシ 男の人は力仕事してるからじゃないですか?

五郎 実はこの女の人たちは、夫が亡くなったり、病気で働けなくなったりした、未亡人や貧しい人たちなんです。畑仕事の担い手がいなくなっちゃったわけで、暮らしに困ってる。

アシ かわいそう……。

五郎 奥のほうにいる人たちは、うずたかく積まれた麦わらを見ればわかるように、自分たちの畑から麦を収穫している。でも、彼らは刈り入れのときに、わざといくつか穂を落としておくの。自然に落ちちゃう分もあっただろうけど。で、貧しい女性たちは、そうやって残された穂を拾って生活の足しにしてた。そういう風習が、当時のフランスにはあったんです。

アシ おこぼれをもらってたんだ!

五郎 それはもとをたどると、旧約聖書にルツ記というすごく短い一書があって、そこに出てくる話なんです。ルツっていう女の人が、夫が亡くなり困ってたんだけど、古代パレスチナには、貧しい人に落ち穂を拾う権利を与える法律があったわけ。それで一生懸命落ち穂を拾ってたら、そこの地主みたいな人に感心な女性だと思われて、再婚する。つまり、落ち穂拾いというのはキリスト教的な道徳で、それをミレーは描いているわけですよ。

アシ ただ農民の姿を描いただけじゃないんですね。

ミレーは代表みたいに言われるけれど、バルビゾン派ってどんな派だっけ?

五郎 そうです。ある種の宗教画なんですよ。ところで、ミレーってどんなイメージ? ミレーはバルビゾン派の代表みたいに言われるんだけど、バルビゾン派ってどんな派だっけ?

アシ バルビゾン? チーズみたいな名前(笑)。

五郎 それはたぶんパルメザン(笑)。バルビゾンって、パリの郊外にある農村なんだよ。そこに移り住んで絵を描いた人たちをバルビゾン派っていうんです。ミレー以外に、コローとかテオドール・ルソーとか、「バルビゾンの七星」と呼ばれる画家たちがいた。ミレーはその中で、日本でいちばん有名な画家ですね。

【山田五郎さんに聞いてみた】ミレー『落穂拾い』。なぜ落ちた穂を拾っているの?

五郎 農村に移り住んで、農民たちの暮らしを描いたために、ミレーは「農民画家」として評価されがちです。あとで紹介するゴッホなんかは、ミレーのそういうところに憧れて、「俺もミレーみたいな農民画家になりたい!」と、近所の農民の絵ばかり描いて、迷惑がられたりしています。「仕事の邪魔をしないでくれ」と言われて。

アシ ハハハ(笑)。

五郎 ところが、ミレー本人は、この『落ち穂拾い』にしても、キリスト教的な宗教画として描いたつもりだったのかもしれない。ミレーは、農民画家になりたくてなったわけじゃなかったから。

アシ 第一志望じゃないけど、受かっちゃったからしかたなく、みたいな感じですかね。

五郎 そうです。人間は必ずしも自分がなりたいものになれるわけじゃないんです。