「印象派というのは聞いたことがあるけれどよくわからない」……そんなあなたにおすすめなのが、書籍『めちゃくちゃわかるよ!印象派』。本書は、西洋絵画の巨匠とその名作を紹介するYouTubeチャンネル『山田五郎 オトナの教養講座』にアップされた動画の中から、印象派とそれに連なる画家たちを紹介した回をまとめたもの。YouTube動画と同様に、山田五郎さんと見習いアシスタントとの面白い掛け合い形式で構成されています。楽しみながら、個々の画家の芸術と人生だけでなく、印象派が西洋絵画史の中で果たした役割まで知っていただけます。
前回に引き続き、「農民だけを描きたかったわけじゃない農民画家ミレー」をお届けします。『落穂拾い』や『晩鐘』で知られるミレーの、知られざる苦悩の前半生を紹介します。
順風満帆とはいかなかったミレーの前半
山田五郎(以下、五郎) ミレーはフランスの北のほうのノルマンディーの農家の出身なの。農家の出身だから農民画家、と思われがちなんだけど、農家にもいろいろあって、ミレーの実家はけっこうな地主なわけ。自分の畑を持たないで地主に雇われて仕事をする小作農じゃないんです。つまり、ミレーは、まあまあ裕福なおうちの出身なわけですよ。
アシスタント(以下、アシ) 田舎の豪農ってやつですね。
五郎 ミレーは長男で、本当は家を継がなければいけないんだけど、画家になりたいといって、地元の画家の先生に絵を習ってから、パリの国立美術学校、エコール・デ・ボザールに入るんです。画家にとってのエリートコース。そこで、ポール・ドラローシュという先生に習う。『レディ・ジェイン・グレイの処刑』という絵が有名な巨匠。
アシ 怖い絵、ですね。
五郎 この絵からもわかるように、バリバリの歴史画家なんだよ、ドラローシュは。ミレーはその門下にいて、自分も歴史画の大作を描く古典画家になりたいと思ってたんだけど、そのための登竜門の1つだったローマ賞という賞がとれなくて、学校も辞めちゃうんです。
アシ 失意のミレー……。
五郎 ただ、肖像画を描けばメシは食えたので、故郷に帰って肖像画家になるんだよね。でも、「やっぱり俺は歴史画家としてやりたい」という思いが強く、父親が反対した相手と結婚したこともあって、またパリに出てきた。ところが、どうがんばっても、売れないわけですよ。そこで食うために仕方なく、こういう裸の絵も描いたりしてたんです。家族を養わなきゃいけないから。
アシ そう言われると、なんだか生活臭がただよってくるような気がします。
五郎 ところが、ある日、ミレーは自分が描いた裸婦の絵を売ってる画廊の前で、「これ、誰の絵だよ」「あの、ミレーとかいう裸ばっかり描いているやつの絵だよ」と2人の若者が話しているのを聞いてしまう。で、思うわけさ、「俺はこんなことをするためにパリに出てきたんじゃない!」って。
アシ そうじゃない、と。
五郎 やっぱりもっとちゃんとした絵を描きたい、と気持ちを新たにするわけだよね。そんなとき、家賃が安くてパリの若い芸術家のたまり場だったロシュシュアール通りで、のちにバルビゾン派と呼ばれる仲間たちと出会って、バルビゾン村に絵を描きに行ったりするんですけれども、そっちのほうもなかなか芽が出ない。
アシ 現実は甘くない。
1848年のサロンでてのひら返しの大絶賛
五郎 そう思うでしょ。ところが、1848年、ミレーが34歳のときですよ。国の展覧会であるサロンに出した『箕をふるう人』という作品が、なぜか大絶賛された。サロンに入選するといいことがある、というのは、これから何度も登場してくる話だけど、ミレーの場合は、国から直接注文が来た。もっとでっかい絵を描いてくれって。
アシ いきなり大出世ですね!
五郎 ところがこれは、本来ならサロンで真っ先に叩かれるタイプの絵だったんです。歴史上の人物でもなんでもない、ただの農民が麦の殻を取り除く作業を描いただけですから。それまでのアカデミーの基準でいえば、まったく評価されないはずなのに、なぜ大絶賛されたのか。ヒントは、1848年という年にあります。1848年、フランスで何があった?
アシ あ、フランス革命ですか?
五郎 それ、たぶんフランス大革命(1789年)のこと言ってるでしょ、マリー・アントワネットが処刑された。
アシ そうです、それです!
五郎 そんなの、とっくに終わってるんだよ。その後1830年に7月革命(20ページ参照)があって、1848年に起きたのは2月革命。
アシ えっと、そんなのありましたっけ?
五郎 フランスの革命史はややこしいから、次の図を見て確認しておいてください。前回もちょっと触れたけど、例のドラクロワの『民衆を導く自由の女神』で描かれた1830年の7月革命がブルジョワ革命、つまり市民たちの革命だったとすると、1848年の2月革命は労働者革命だったんだよ。
五郎 「もう金持ち連中にはまかせておけない、俺たち労働者の政権をつくるぞ!」といって起きたのが2月革命で、ゴリゴリの社会主義者も政権入りを果たす。そんな革命の熱も冷めやらぬ1848年のサロンは、評価の基準も完全にそっち系に振れてたわけ。だからミレーの『箕をふるう人』も、これこそまさに労働者を讃えるすばらしい絵じゃないか、と絶賛された。
アシ てのひら返しですね(笑)。
五郎 しかも、たまたまなんだけど、この絵に使われている色が、青、白、赤のトリコロール。自由、平等、友愛を表すフランス国旗そのものだった。
アシ ホントだ、見事に対応してますね。
五郎 つまり、『箕をふるう人』がいきなり評価されたのは、革命のおかげだったんだよ。それで国からも注文がきた。ところが、ミレーにしてみれば、そんなつもりじゃなかった、という思いがある。本音では、もっと古典的な歴史画を描きたかったのに、この作品で「農民画家」のレッテルを貼られちゃった。
アシ 俺たちのミレー(by 農民・労働者代表)。