世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”、稀代の読書家として知られる出口治明APU(立命館アジア太平洋大学)前学長。世界史を背骨に日本人が最も苦手とする「哲学と宗教」の全史を初めて体系的に解説した『哲学と宗教全史』。「ビジネス書大賞2020」特別賞(ビジネス教養部門)も受賞している。宮部みゆき氏も「本書を読まなくても単位を落とすことはありませんが、よりよく生きるために必要な大切なものを落とす可能性はあります」と評する。今回は人類初の世界宗教「ゾロアスター教」について見ていこう。
(構成・藤吉豊。本稿は出口氏の特別インタビュー記事を再掲載したものです。初出:2019年8月19日)

【出口治明】日本人が知らない! 世界最古の宗教「ゾロアスター教」がその後の宗教に残した影響【書籍オンライン編集部セレクション】Photo: Adobe Stock

人類初の世界宗教「ゾロアスター教」

――そもそも「宗教」は、いつ誕生したのですか?

出口治明(以下、出口):今から約1万2000年前、メソポタミア地方で起きた「ドメスティケーション」を経て、人間は宗教という概念を考え出したと推論されています。

ドメスティケーションには飼育、順応、教化などの意味があります。ドメスティケーション以降、人間は定住し、世界を支配し始めました。植物を支配する農耕に始まり、動物を支配する牧畜、さらには金属を支配する冶(や)金(きん)と、植物、動物、金属、すべてを人間が支配するようになりました。ドメスティケーションは、狩猟採集生活から農耕牧畜生活への転換であったのです。

周囲に存在するものを順次、支配していった人間は、次にこの自然界を動かしている原理をも支配したいと考え始めたのです。

誰が太陽を昇らせるのか、誰が人の生死を定めているのか、何者かが自然界のルールをつくっているのでは、と考え始めた。

そして、超自然的な神の存在を意識し始めた人間は、太陽神や大地母神信仰を経て、自然の万物に神の存在を意識するようになり、原始的な多神教の時代へと進みます。

その後、後世の宗教に多大な影響を与えた人類初の世界宗教が生まれました。ゾロアスター教です。

――ゾロアスター教の創始者は誰なのですか?

出口:BC1000年(プラスマイナス300年)頃、古代のペルシャ、現代のイラン高原の北東部に、ザラスシュトラという宗教家が生まれました。ザラスシュトラの英語読みがゾロアスターです。ザラスシュトラは古代社会には珍しく具象的な思考能力を有した人物だったようで、ゾロアスター教の教義はまことに論理的で、しかも明快でした。

ゾロアスター教には、
善い神のグループと悪い神のグループが存在する

――ゾロアスター教とは、どのような宗教なのですか?

出口:ペルシャの地に移住したアーリア人の民族的な信仰を基本にしています。ザラスシュトラの没後、およそ千数百年後の3世紀に入って、ゾロアスター教の教典が編纂・整備されました。経典の名前は『アヴェスター』です。ザラスシュトラの言葉と彼の死後につけ加えられた部分によって構成され、全部で21巻あったといわれています。現在はその約4分の1が残存しています。

ゾロアスター教の最高神はアフラ・マズダーです。彼が世界を創造したのですが、世界には、善い神のグループと悪い神のグループが存在します。そしていつも争っていると、ゾロアスター教は教えます。

――ゾロアスター教には、善い神だけでなく、悪い神も存在するのですか?

出口:そうなんです。善い神のグループは、人類の守護神であるスプンタ・マンユを筆頭にして七神。悪い神のグループは、すべての邪悪をつかさどる大魔王アンラ・マンユ(別名アフリマン)を筆頭にして、こちらも七神です。

ゾロアスター教では宇宙の始まりから終わりまでを1万2000年と数えます。それを3000年ずつ4期に分けました。そしてザラスシュトラは、「今の時代は善い七神と悪い七神が激しく争っている時代なのだ」と説いています。

苦しい日々が続くのは、悪い神の親分アンラ・マンユが優勢なとき、楽しい日々が続くのは、善い神の統領スプンタ・マンユが勝利を続けているときなのだと教えたのです。

仮にこの世を、一人の正義の神がつくったとすると、正義が世界中にあふれていることになります。悪い君主も殺人鬼も存在しない理屈になります。清く正しく生きていれば、誰もが幸福になれるはずです。それなのになぜ、人生には苦しみがあるのか。神がいるのなら救ってくれてもいいじゃないか。そう考えて悩むことになります。

けれども、善と悪が存在する「善悪二元論」であれば、現世で生きる苦しみと来世との関係をわかりやすく説明できます。

ゾロアスター教には、偶像崇拝はなく、火を信仰しました。そのために拝火教とも呼ばれます。イランのヤズドの地にはザラスシュトラが点火したと伝えられる「永遠の火」が、今も燃え続けています。

バクーにもゾロアスター教の「永遠の火」を祀る聖地が残されています。また、インドでは火の神アグニが仏教に大きな影響を与えました。そして「永遠の火」を信ずる教えは中国にも伝わり、さらに日本にも伝わったと考えられています。その象徴的な存在が、比叡山延暦寺で今も燃え続ける不滅の法灯(ほうとう)です。唐から帰朝した最澄が延暦寺に灯(とも)してから、一度も消えることなく今日まで燃え続けていると伝えられています。

ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教も、ゾロアスター教から学んだ

――1万2000年後、宇宙に終わりが訪れたとき、人類はどうなってしまうのですか?

出口:1万2000年後の未来、世界の終末にアフラ・マズダーが行う最後の審判によって、生者も死者も含めて全人類の善悪が審判・選別され、悪人は地獄に落ち、すべて滅び去ります。そして、善人は永遠の生命を授けられ、天国(楽園)に生きる日がくるのだと、ザラスシュトラは説いたのです。

ゾロアスター教は、最高神としてアフラ・マズダーが存在しますので、一神教のようにも見えますが、善神と悪神と多彩な神々が存在している点では多神教のようでもあります。このペルシャで生まれた世界最古の宗教に、一番多くを学んだのがセム的一神教でした。

――セム的一神教とは、何ですか?

出口:ノアの3人の息子(セム、ハム、ヤペテ)の中で、セムを祖先とすると伝えられる人々をセム族と呼びます。

セム族は、西南アジア(メソポタミア、パレスティナ、アラビア)の歴史に登場してきた人々ですが、彼らの中から誕生してきた一神教のことです。

具体的には、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教を指します。

セム族の一部が信じる唯一神YHWH(ヤハウェ)が人類救済のための預言者として選んだ人物が、アブラハムです。彼はユダヤ人の祖と目され、ユダヤ教やキリスト教そしてイスラーム教の世界でも「信仰の父」として尊敬されています。そのために、セム的一神教は「アブラハムの宗教」とも呼ばれます。

セム的一神教は、天地創造や最後の審判も、天国も、地獄も、洗礼の儀式も、すべてゾロアスター教から学んだのです。

セム的一神教の3つの宗教を合わせた信者の数は、21世紀の今日、世界で50パーセントを超えています。

ゾロアスター教は、今日ではインドや中東に少数の信者を抱える小さな規模の宗教になっていますが、世界の宗教に残した影響には多大なものがあるのです。