「成績最下位でも自信を失わなかったのには、理由があります」
そう語るのはアメリカン・エキスプレスの元営業である福島靖さん。世界的ホテルチェーンのリッツ・カールトンを経て、31歳でアメックスの法人営業になるも、当初は成績最下位に。そこで、リッツ・カールトンで磨いた「目の前の人の記憶に残る技術」を応用した独自の手法を実践したことで、わずか1年で紹介数が激増。社内で表彰されるほどの成績を出しました。
その福島さんの初の著書が記憶に残る人になるガツガツせずに信頼を得るための考え方が満載で、「本質的な内容にとても共感した!」「営業にかぎらず、人と向き合うすべての仕事に役立つと思う!」と話題。この記事では、本書より一部を抜粋・編集し、成績最下位でも落ち込まないために「やっていたこと」について紹介します。

【落ち込まない人の習慣】成績最下位の営業マンが、それでも「きっと大丈夫だ」と自己肯定感を保てた理由とは?Photo: Adobe Stock

成績最下位でも、なぜか「大丈夫」と思えた

 テレアポをやめ、紹介だけで営業していくことを決断した頃のことです。
 まだ人脈なんてほとんどなかったため、はじめは成績が上がりませんでした。

 上司からは「テレアポやれよ!」と叱られますし、このままの成績が続けば契約の更新を見送られる可能性もありました。
 理想と現実のギャップで、モチベーションはみるみる落ちていく……のかと思いきや、意外にも「きっと大丈夫だ」と思えたのです。

「感謝の言葉」が自分を支えてくれる

 僕を支えてくれたのは、挑戦によって得られた「感謝」でした。当時は1、2ヶ月に1度の頻度で登壇する機会があり、講演終了後、参加者のみなさんがいつもこう言ってくれるんです。

「福島さん、素晴らしい話をありがとうございました!」
「とても勉強になりました!」

 なかには握手を求めてくださる人や、お手紙をくださった人もいました。これが、本当に嬉しかったんです。

 人は誰かの役に立てたときに、自分の存在意義を感じられます。営業としての成績は悪く、会社では誰からも見向きもされず、落ちこぼれのような扱いをされていましたが、講師としての活動でいただいた社外からの感謝が、僕の自己肯定感を高く保ってくれたのです。

感謝の「総量」を保つ

 本業で伸び悩んでも、感謝される場所が複数あれば感謝の総量を保てます。
 僕は、これを「感謝のポートフォリオをつくる」と呼んでいます。

 営業には「成績」というわかりやすい指標があります。簡単に優劣が判断され、褒められる人と褒められない人が線引きされてしまいます。
 当然、成績が下がれば誰にも感謝されません。いくら今月の成績が良くて褒められたとしても、翌月がダメなら、また誰からも見向きもされなくなります。それが営業の世界です。

 だから、ひとつの感謝だけに依存しているのは、少し危険です。

 本業で成果が出せず、誰からも感謝されないと、つい自分という存在がすべて否定されたような気持ちになってしまいます。でも、そんなわけありません。他にも感謝してくれる人がいれば、その事実に気づき、自己肯定感を保つことができます。

 これは本業から逃げるという意味ではありません。本業と向き合い続けるために、自己肯定感を得られる場所を本業以外で確保しておくんです。
 たとえ本業には直結しない依頼や相談がきたとしても、それで誰かの役に立てるのなら、喜んでくれるのなら、挑戦する価値はあると思います。そうやって作られていく「感謝のポートフォリオ」が、あなたの心を支えてくれるのです。

(本稿は、『記憶に残る人になるートップ営業がやっている本物の信頼を得る12のルール』から一部抜粋した内容です。)

福島 靖(ふくしま・やすし)
「福島靖事務所」代表
経営・営業コンサルティング、事業開発、講演、セミナー等を請け負う。高校時代は友人が一人もおらず、18歳で逃げ出すように上京。居酒屋店員やバーテンダーなどフリーター生活を経て、24歳でザ・リッツ・カールトン東京に入社。31歳でアメリカン・エキスプレス・インターナショナル・インコーポレイテッドに入社し、法人営業を担当。当初は営業成績最下位だったが、お客様の「記憶に残る」ことを目指したことで1年で紹介数が激増し、社内表彰されるほどの成績となった。その後、全営業の上位5%にあたるシニア・セールス・プロフェッショナルになる。38歳で株式会社OpenSkyに入社。40歳で独立し、個人事務所を設立。『記憶に残る人になる』が初の著書となる。