「マナーを守ることで、ときに失敗することがあります」
そう語るのは、元アメリカン・エキスプレスのトップ営業である福島靖さん。31歳で同社に法人営業として入社し、わずか1年で紹介数・顧客満足度ともに全国1位に輝いた。しかし、入社当初は成績最下位だったそう。もともとコミュ障で、学生時代は友達ゼロ。おまけに高卒。そんな福島さんの成績が急上昇したのは、営業になる前、6年勤めたリッツ・カールトンで得た学びを営業でも実践したからだった。
その経験とノウハウをまとめたのが、初の著書記憶に残る人になる-トップ営業がやっている本物の信頼を得る12のルールだ。ガツガツしなくても「なぜか信頼される人」になる方法が満載で、営業にかぎらず、人と向き合うすべての仕事に役立つと話題。この記事では、本書より一部を抜粋・編集し、「マナーとの向き合い方」を実感したあるエピソードを紹介する。(構成/石井一穂)

「丁寧なだけで結果がでない営業」がやってしまっている決定的な間違いとは?Photo: Adobe Stock

マナーを守ることが「失礼」になるとき

 31歳から営業を始めた僕は、先輩から教わったさまざまな営業マナーを「そうあるべき」として順守していました。
 たとえば、商談場所には必ずお客様よりも先に着くというマナー。
 時間をつくってくれたお客様を待たせるなんて失礼ですから、当然です。
 だから商談場所がカフェなどの場合は、30分前には到着して席を取るようにしていました。
 これが営業としての当たり前だと信じていました。

 ですが営業2年目で、ある敏腕経営者に食事会に誘われて参加したときのこと。
 叩き込まれた「営業のマナー」が裏目に出たんです。

完璧なマナーで出迎えた著者が言われた「ある苦言」

 相手は自分より10歳以上年上で、しかも成功している経営者。
 失礼だけはあってはダメだと思い、会が始まる15分前に会場の飲食店に到着しました。
 5分後、主催者であるお客様が姿を現し、参加者も続々とやってきました。
 みなさんと積極的に名刺交換をして、丁寧な自己紹介をした僕は「完璧だ」と自己満足していました。
 すると、会の後で主催の経営者が近づいてきて、こう言いました。

「福島くん、別にクレームじゃないんだけど、教えておいてあげるね」

 僕を気遣った前置きをしたうえで、彼はこう続けました。

「まず、主催者よりも先に到着しないほうがいいよ。主催者が会場に到着したときに先にお客様がいたら、待たせちゃったなと気を遣わせちゃうでしょ。だから早く着きすぎるのはよくないよ」

 また、付け加えてもうひとつ。

「最初に名刺交換を頑張っちゃうと、食事会が一気にビジネス交流会みたいになっちゃうでしょ」

 会ったらまずは名刺交換をするのが大切なマナーだと思っていたため、大きなショックを受けました。

マナーを守って怒られた「たったひとつの理由」

 お客様を待たせない。自分から真っ先に名刺交換を申し出る。
 営業としては一般的な、正しいマナーだったと思います。
 でも、時と場所が変われば、それは非常識になってしまうんです。

 よく考えれば防げたことかもしれません。
 でも、僕は何も考えていなかったんです。
 ただ単に、早く着けばいい、名刺交換をすればいい、そう思っていただけでした。

機械的におこなうマナーには「リスク」しかない

 マナーは相手に不快感を与えないためには必要なことであり、無視することはできません。
 ですがマナーを守ることが「目的」になってはいけません。

「こうしなければならない」と形骸化したマナーはいくつも存在します。
 当たり前のようにおこなっているそのマナーには、どんな意味があるのか、本当に相手のためになっているのか、考えたことはあるでしょうか。
 僕のように、何も考えず、機械的におこなっている人も多いと思います。

 そうやってマナーに縛られることは、相手の記憶に残れないばかりか、考えもなく行動して怒られるリスクを抱えた状態なのです。

(本稿は、『記憶に残る人になるートップ営業がやっている本物の信頼を得る12のルール』から一部抜粋した内容です。)

福島 靖(ふくしま・やすし)
「福島靖事務所」代表。経営・営業コンサルティング、事業開発、講演、セミナー等を請け負う。高校時代は友人が一人もおらず、「俳優になる」ことを口実に18歳で逃げ出すように上京。居酒屋店員やバーテンダーなどフリーター生活を経て、24歳でザ・リッツ・カールトン東京に入社。同社が大切にするホスピタリティを体現し、6年間で約6,000人のお客様に名前を尋ねられるほどの「記憶に残る接客術」を身につける。31歳でアメリカン・エキスプレス・インターナショナル・インコーポレイテッドに入社し、法人営業を担当。当初は営業成績最下位だったが、リッツ・カールトン時代に大切にしていた「記憶に残る」という在り方を実践したことで、1年で紹介数、顧客満足度、ともに全国1位に。その後、全営業の上位5%にあたるシニア・セールス・プロフェッショナルになる。38歳で株式会社OpenSky(プライベート・ジェット機の販売・運航業)に入社。40歳で独立し、個人事務所を設立。本書が初の著書となる。