何を食べるか・何にお金を使うか・どこに行くか…こうした私たちの日々の決断は「自分の意思だ」と思いがちだが、実は日常に潜むさまざまな認知バイアスによって操作されているーーそう解き明かすのが、人間の行動における「リアルな心理」や「脳のメカニズム」を経済理論に応用する行動経済学だ。
この分野の知見は、公共政策やビジネスに応用されるケースが増えている一方で、人々の判断を故意に誤らせる「ダークパターン」として悪用される例も散見されており、いま注目のテーマである。そこで今回は、「時間を忘れてのめり込んだ」「面白い話のオンパレード」と反響を呼んでいる行動経済学の入門書『勘違いが人を動かす』の著者エヴァ・ファン・デン・ブルックさんとティム・デン・ハイヤーさんの来日に合わせ、インタビューを行った。(聞き手・構成/ダイヤモンド社 根本隼)

【地頭力チェック!】あるカフェでは、コーヒーのサイズが「M、S、L、XL」の順に書いてあります。さて、どのサイズが1番売れるでしょうか?Photo: Adobe Stock

「人生で初めて」あるカフェで見た、不思議なメニュー

――日本滞在中に訪れた場所で、行動経済学的な観点で面白い事例は何か見つかりましたか?

エヴァ・ファン・デン・ブルック(以下、エヴァ) あるカフェに行ったとき、飲み物のサイズが「M、S、L、XL」という変わった順番でメニュー表記されているのを見て、驚いたのと同時にとても興味深かったですね。

 こういう表記は見たことがなかったので、最初は「なぜこの順番にしたんだろう?」と疑問に思いましたが、その後すぐ「Mサイズを多く売るための実験」をしているのかなと思い当たりました。

 一般的に、「S、M、L」と3つのサイズを小さい順に並べた場合は、多くの人が「中間サイズ」のMを選びます。SとLの販売数は、だいたい同じかもしれません。

 これを「M、S、L」という表記順にしたら、Mが中間サイズだというだけでなく、「最初に書いてあって印象に残りやすい」という要素も加わるので、Mを選ぶ人がさらに増えるのではないでしょうか。

――今回のカフェの事例は選択肢が4つあるので、Lの売上を伸ばそうとしている可能性もある気がします。「M、S、L、XL」という順に並べると、Sは一番小さいサイズであるうえに、最初に書いてあるわけでもないので、かなり選びづらい。

 そうすると、実質的に「M、L、XL」の3択になるので、この中では「中間サイズ」に見えるLが買われやすくなるという。

エヴァ そういう意図である可能性もありますね。XLという4つめの選択肢を加えて、表示順も入れ替えることで、Sの売上を減らして、MとLの売上を増やすことが狙いなのかもしれません。学者としては、販売個数のデータをぜひ知りたいですね。

「人間の行動」はタイミングしだいで変わる

――オランダでも、行動経済学の社会実験が行われているそうですね。

エヴァ いまオランダでは、政府が国民向けに送る文書について、「どのタイミングで送付すれば、返信・提出率が最も高くなるか」ということを実験しています。

 政府機関の書類の多くは、出生や結婚といった「人生の節目」に合わせて送られます。しかし、そうした時期は当人にとって非常に忙しいタイミングなので、届いた書類にゆっくり目を通したり、返信したりする時間的・精神的余裕があまりないですよね。

 そこで政府は、書類を送るタイミングをさまざまに変えながら、返信・提出率が高まるのが「子どもの出産から何か月後なのか」「結婚の何日後なのか」といったデータを集めているのです。

 情報を発信したり、書類を送ったりする「タイミング」しだいで、人々のとる行動が大きく変わるということは、まだまだ社会で認識されていません。この実験は、それほどお金をかけずにできるので、とても有意義な取り組みだと私は考えています。

ティム・デン・ハイヤー(以下、ティム) 政府機関だけでなくビジネスの世界でも、認知バイアスや行動経済学の知見が活用されはじめていますが、「人間は、必ずしも単一の法則のみに従って意思決定するわけではない」ということは理解しておくべきだと思います。

 たとえば、私たちは「値段が安いから買いたい」ときもあれば、逆に「高いから欲しくなる」ときもありますよね。あるいは、「新商品だから手に入れたくなる」ことがあるのと同様に、「なじみのある商品だから欲しい」ということもある。

 なので、認知バイアスをうまく利用したつもりでも、狙いとは正反対の行動を誘発してしまう可能性が常にあるのです。数学や物理の法則のように、いつでも有効なわけではありません。

認知バイアスの知識を人生に役立ててほしい

――最後に、日本の人たちにメッセージをお願いします。

ティム 行動経済学や認知バイアスのことを知れば知るほど、自分自身や他者の「行動メカニズム」がよくわかるようになります。

 日々の仕事や生活の中で、誰かの行動に対して、「なぜこんなことをするんだろう」と憤ることもあると思います。そんなときに、「認知バイアスに脳が引っかかったんだろうな」と考えることができれば、怒りを抑えて寛容な心でいられるのではないでしょうか。

エヴァ ニュースや書籍などを通じて知った認知バイアスは、自分や他者を「よりよい方向に導く」ために、積極的に使ってみてほしいですね。

 その際は、どの変数がどのような影響や結果をもたらすか、なるべく事前に予測を立ててください。その予測と結果を比較検証することで、認知バイアスや人間の行動原理への理解が深まりますし、検証そのものを楽しむこともできるはずです。

 そして、もし面白い発見があったら、ぜひ私たちに教えてください。今後の研究や著作の内容に、取り入れてみたいと思います。

(本稿は『勘違いが人を動かす』の著者インタビューより構成したものです。)

【著者】
エヴァ・ファン・デン・ブルック
行動経済学者。ユトレヒト大学講師
人工知能を研究し、行動経済学の博士号を取得。大学、政府、企業での応用行動研究にお いて15年の経験を持つ。消費者がより持続可能な選択をすることができるよう、より良い行動インセンティブを設計する組織を支援している。オランダ政府のキャンペーンなどにも携わる。

ティム・デン・ハイヤー
クリエイティブ戦略家、行動デザイナー、コピーライター。広告代理店B.R.A.I.N. Creativesの創設者
ハイネケンやイケアなど、世界的に有名なブランドの広告に20年間携わる。ニューヨークからカンヌまで、数々の賞やノミネートを獲得してきた。ライデン大学オランダ語言語学修士号。マスコミュニケーション副専攻(ユトレヒト大学)。行動デザイン(BDA)、行動経済学(トロント大学)、神経マーケティング&消費者神経科学(コペンハーゲン・ビジネススクール)の修了証書を取得。