人を動かすには「論理的な正しさ」「情熱的な訴え」も必要ない。「認知バイアス」によって、私たちは気がつかないうちに、誰かに動かされている。人間が生得的に持っているこの心理的な傾向をビジネスや公共分野に活かそうとする動きはますます活発になっている。認知バイアスを利用した「行動経済学」について理解を深めることは、様々なリスクから自分の身を守るためにも、うまく相手を動かして目的を達成するためにも、非常に重要だ。本連載では、『勘違いが人を動かす──教養としての行動経済学入門』から私たちの生活を取り囲む様々な認知バイアスについて豊富な事例と科学的知見を紹介しながら、有益なアドバイスを提供する。

できる人が「どこで食べよっか?」と相手に聞かない理由Photo: Adobe Stock

選択肢を与えられると、その他の選択を忘れてしまう

 オランダでも、意図的に品ぞろえを絞った店が続々と現れている。

 アムステルダムのクザール・ペーテル通りにも、ピーナッツバター、オリーブオイル、ウィスキー、チーズ、コーヒー豆などに特化した店がある。

 1種類の商品だけを扱う、新しいファッションブランドも増えてきている。長袖Tシャツ、使い勝手のいいトラベルパンツ、履き心地のいいハイヒール、といった具合だ。

 とはいえ、集客数が多いのは選択肢の多い大型店のほうだ。成功している店は、選ぶ楽しみと選ぶ手間のジレンマをうまく操っている。

 幅広い品ぞろえで客を店に引き寄せ、商品を手に取らせるための様々なトリックが仕掛けられている。
 たとえば、商品が並べられている意味を客が直感的にわかるような陳列棚をつくる(真ん中の棚には一般的な価格の品、上の棚には高級な品、下の棚には廉価な品、など)。

「今週のメニュー」「今月のビール」「今日のお買い得品」といった言葉で購買欲を刺激する。
 これらはすべて、選択の不安を取り除くための“ショートカット”だ。

 この原理は、「選択肢の提示方法を変える」という形で私たちの日常生活でも応用できる。

 これは選択アーキテクチャと呼ばれている。

 たとえば、選択肢を2つに絞り、二者択一にして相手に提示するという方法がある。

 友人たちと一緒にいるとき、「どこで食事しようか?」と問いかけてしまったら、いつまでたっても意見がまとまらず、お腹を空かせたまま通りをうろつくことになるだろう。

 そうではなく、「ハンバーガーか寿司、どっちがいい?」と尋ねれば、何を食べたいかはすぐに決まりやすい。

 このように、実際にはもっと多くの選択肢があるのにそれを限定することを、修辞学では「誤ったジレンマの誤謬」と呼ぶ。行動科学ではもう少し穏やかに、「選択肢の削減」と呼ばれている。

 米国のアパレルチェーンの店舗もこれを応用している。試着室のフックには、「絶対欲しい!」と「欲しいかも」と書かれたラベルが貼られている。

 試着を終えた客は、衣類をどちらかのフックに掛けなければならない。「絶対欲しい!」に掛けた客はたいてい、その商品を購入する。

 また、あるアジアの小売チェーンでは、入店時にカゴを選べるようになっている。

 カゴは2色あり、青いカゴは「店員に声をかけてほしい」、赤いカゴは「1人で静かに見てまわりたい」を意味する。

 買い物客は自分に当てはまるカゴを選ぶが、3つ目の選択肢「どちらのカゴも取らない」があることを忘れてしまっている。

 これが店側の狙いだ。手にカゴを持っている客は多く買い物をしやすい。だから、客に必ずカゴをもたせるようにしているのだ。

(本記事は『勘違いが人を動かす──教養としての行動経済学入門』から一部を抜粋・改変したものです)