ウォール・ストリート・ジャーナル、BBC、タイムズなど各メディアで絶賛されているのが『THE UNIVERSE IN A BOX 箱の中の宇宙』(アンドリュー・ポンチェン著、竹内薫訳)だ。ダークマター、銀河の誕生、ブラックホール、マルチバース…。宇宙はあまりにも広大で、最新の理論や重力波望遠鏡による観察だけでは、そのすべてを見通すことはできない。そこに現れた救世主が「シミュレーション」だ。本書では、若き天才宇宙学者がビックバンから現在まで「ぶっとんだ宇宙論」を提示する。本稿では、人気書評ブロガーの冬木糸一氏に本書の魅力を寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)

「読んだことがない本。意義と、奥深さ、そして数々のシミュレーションから浮かび上がる、宇宙の複雑な美しさと魅力に驚かされる」一冊とは?【人気ブログ「基本読書」主宰】Photo: Adobe Stock

複雑な宇宙をシミュレーションする

 近年、観測技術や物理学の進展に伴って現実の宇宙の理解は進んできたとはいえ、まだまだわからないことだらけだ。たとえば、各銀河が今の形になったのはなぜなのか。ダークマターが銀河の形成に大きな影響を及ぼしているとされるが、ダークマターは本当に実在するのか、観測できるのか。ブラックホールの内部はどうなっているのか。宇宙が始まる前には何があって、宇宙が終わった時、何が起こり得るのか。

 こうした疑問は難問だから残っているのであって、ほとんどは科学技術の発展もなしにすぐに解き明かせるものではない。しかし、発展を待つ以外にもできることはたくさんある。その一つが、「コンピュータの中で現実の状況を再現する」、シミュレーションを使う手法だ。シミュレーション自体は現代社会では当たり前の存在で、天気予報は地球大気のシミュレーションに基づいているし、自動車や飛行機だって製造前にシミュレーションでテストされる。それは宇宙だって例外ではない。

 実はこれが現在の宇宙の理解に著しく貢献していて──、というわけで本書『THE UNIVERSE IN A BOX 箱の中の宇宙』は、そうした宇宙のシミュレーションについて書かれた一冊である。副題に「あたらしい宇宙138億年の歴史」とあるが、本書はたしかにあたらしい。この複雑極まりない宇宙をシミュレーションするためには、何をどうしたらいいのか。どんな困難があるのか。天の川銀河には数千億もの星があって、さらに宇宙には他の銀河も無数に存在する。その中にはブラックホールもあるだろうし、ガス雲も、塵もある。それらはすべて重力でお互いを引き合っている。

 それらをどうシミュレートできるというのか。何が重要な変数で、何は無視してもよいのか。宇宙をシミュレートすることに何の意味があるのか──といった、数々の疑問を通して宇宙の歴史を紐解いていく本なのだ。著者はロンドン大学の宇宙論の教授で、数々の宇宙のシミュレートを行ってきたこの道の専門家で、本書が初の著書だという。たしかに、他でこういう本は読んだことがない。

 混沌とした星やガスや塵から、どのようにして首尾一貫した宇宙が生まれるのか。それを理解するのが、コスモロジストの主な目標の一つだ。私たちは、重力、素粒子物理学、光、放射線などの自然法則にもとづいて、コンピューター・シミュレーションを構築し、夜空の観測結果と照らし合わせて、予測を検証する。(……)シミュレーションは、小さなスケールの法則をはるかに超える、宇宙の全体像を教えてくれる。(p.20)

 正直本書を読み始める前は宇宙についてのシミュレーションが盛んに行われていることは知ってはいても、その重要性には気がついておらず興味をひかれたこともなかったが、読み終えた今ではその意義と、奥深さ、そして数々のシミュレーションの試みから浮かび上がる宇宙の複雑な美しさ、その魅力に驚かされることになった。

どのような種類のものが、どのような量で、どのような場所に

 シミュレーションがやっていることを抽象的に表現すれば、「どのような種類のものが」「どのような量で」「どのような場所に存在する可能性があるのか」を算出することだけだ。もちろんそう簡単にはいかない。分子レベルで動きを予測したくとも、量子力学の不確定な領域に入り込んでしまう。現代の計算機が扱える程度に対象を抽象化し、必要な分だけグリッドで切り分けたりといった様々な手法が必要とされる。

 で、結局そうした手法を駆使して何がわかってきたのか。いろいろあるが、わかりやすいのは「ダークマター」や「ダークエネルギー」が存在するという予測だろう。われわれが暮らす太陽系は天の川銀河に対して毎秒220kmの速度で公転している。そんなスピードで移動しているのだから相当強い重力が銀河内に存在しないと太陽系はすっ飛んでいってしまう。目視で観測できるものだけを信じるならその重力源になってくれるのは銀河の中にある星々だが、その重力では明らかに足りない。

 そこで、多くの研究者がシミュレーションを行い、「この宇宙に何を追加したら、望遠鏡で見える現実の宇宙」と合致するのかを確かめはじめた。その結果として導き出されたのが、ダークマターやダークエネルギーなのだ。ダークマターはおそらく他の何ものとも反応しないのでいまだに観測できていないが、重力は持っていてその影響を周囲に及ぼす。ダークマターが存在するなら、その重力がガスや星を引き寄せ、ダークマターが密集しているところに安定した銀河が形成されるはず──というわけだ。

 もちろんこれらも最初は単なる仮定であり、「シミュレーション上で導入すると現実の銀河に近づく」だけのことである。しかし優れたシミュレーションは「すでに現実に知られていること」以外の情報も明らかにする。ダークマターは最初、銀河が想像以上に高速で回転している異常を説明するために考案されたが、その結果として銀河が配置された広大な宇宙構造や、銀河の形成&合体していく過程が導きだされた。重力で空間が曲がり、光の進路がわずかに屈折する「重力レンズ」という現象も間接的にダークマターの存在を示しており、こうやって一個一個証拠が積み重なっていったことで、本当にダークマターってあるかも、と受け入れられていったのだ。

宇宙の理解に近づくために

 宇宙のシミュレーションの目的は現実の宇宙の再現ばかりではない。たとえばブラックホールが銀河に与える影響を理解するために、ブラックホールの変数をシミュレーションから完全に排除してみる。そうすると、新しい星を作れなくなっていた銀河が突如として星を作り出したりする。そうやって箱の中の宇宙をこねくりまわし、時に極端な値で計算することで、宇宙の理解により近づくのである。「つまり、シミュレーションは、科学者が実験し、学ぶための研究室なのだ。」(p.360)

 本書では他にも、この世界は実は別の宇宙の知的生命体によるシミュレーションの中にあるのではないかとするシミュレーション仮説(『マトリックス』みたいな話だが真面目に検討している人たちがいる)であったり、完全なシミュレーションをするためには分子の振る舞いを考慮にいれる必要があるが、量子力学の世界のルールをどうシミュレーションに組み込むべきなのかという議論であったりと多様な論点を扱っている。

 宇宙に限らず「シミュレーション」それ自体に興味がある人は、ぜひ手にとってみてね。

冬木糸一(ふゆき・いといち)
書評家、「HONZ」レビュアー
1989年生まれ。大学卒業後、IT企業でエンジニアとして勤務。開発者として多忙な日々を送るかたわら、2007年より、SF、サイエンス・ノンフィクションの書評ブログ「基本読書」を主宰。読者登録数は3700人超とファンが多い。これまでに読んできたSF小説は2000冊を超える。『SFマガジン』『家電批評』などでSFの書評を連載中。筆名の「冬木糸一」は、「終末」の文字をバラバラにして、再構築したもの。
ブログ:https://huyukiitoichi.hatenadiary.jp
X:https://x.com/huyukiitoichi

(本原稿は、アンドリュー・ポンチェン著『THE UNIVERSE IN A BOX 箱の中の宇宙』〈竹内薫訳〉に関連した書き下ろしです)