ウォール・ストリート・ジャーナル、BBC、タイムズなど各メディアで絶賛されているのが『THE UNIVERSE IN A BOX 箱の中の宇宙』(アンドリュー・ポンチェン著、竹内薫訳)だ。ダークマター、銀河の誕生、ブラックホール、マルチバース…。宇宙はあまりにも広大で、最新の理論や重力波望遠鏡による観察だけでは、そのすべてを見通すことはできない。そこに現れた救世主が「シミュレーション」だ。本書では、若き天才宇宙学者がビックバンから現在まで「最新の宇宙論」を提示する。本稿では、東京大学名誉教授の早野龍五氏に本書の魅力を寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)
宇宙の起源を知る
宇宙は広大だ。その起源と全容を知ることは、人類の長年の夢であり、同時に大きな挑戦でもある。そんな宇宙を有限の「箱」の中でシミュレーションすることは可能なのか。そして、そこから得られた結果をどこまで信じられるのか。アンドリュー・ポンチェンの著書『箱の中の宇宙』は、この野心的な問いに真正面から取り組んでいる。
本書は分厚い(409ページ!)。天文学・物理学の本でありながら、数式やカラフルな図表を一切用いず、純粋に言葉だけで宇宙の謎に迫っている。著者のポンチェンは、コンピュータシミュレーションを駆使して宇宙の謎に挑む若手天文学者の旗手である。彼はシミュレーションが21世紀の宇宙論に与えた影響の大きさを強調し、「物理学の基礎をはるかに超えて高くそびえ建つシミュレーションは、計算、科学、人間の創意工夫を融合させ、二十一世紀のコスモロジストであることの意味を大きく変えた」と述べている。
本書の特徴的な構成は、天気予報から始まる点である。著者は、天気予報のシミュレーションを例に挙げ、空間を格子(グリッド)に分割し、時間経過とともに流体力学の基礎方程式であるナビエ・ストークス方程式を解く過程を説明する。これは宇宙シミュレーションの基本概念を理解する上で絶妙な導入となっている。
さらに、著者はシミュレーションの限界にも言及する。例えば、局地的な豪雨を予測するほど細かいグリッドを設定することは現在のコンピュータ能力では困難であり、そのため「サブグリッド」という概念が導入されている。また、カオス理論で知られる「バタフライ効果」のため、未来を完全に予測することは不可能だと指摘している。しかし、長期的な傾向を捉えることは可能であり、過去のデータとの比較によってシミュレーションの正確性を検証できるとも述べている。
科学の進歩は多くの人々の営みの結果
本書はダークマターやダークエネルギー、ブラックホールなど、現代宇宙物理学の主要なテーマを網羅している。特に興味深いのは、宇宙の95%を占めるとされるダークマターとダークエネルギーの謎に迫る章だ。著者のポンチェン自身、学生時代にこの説を聞いた際、「そんな話は都合よすぎる」と懐疑的だったという。しかし、シミュレーションを含む様々な研究の結果、現在では多くの天文学者がこの説を支持するに至った過程が描かれている。
本書でもう一つの特筆すべきことは、科学の進歩が多くの人々の営みによって成し遂げられてきたことを丹念に描いている点だ。著者は「(本書は)彼ら彼女らの物語である」と書き、(評者にも)馴染みのない多くの研究者の名前を挙げている。その中には多くの女性科学者も含まれている。科学の発展過程には様々な誤りもあったが、それらを乗り越えて真相解明に近づいていく様子が生き生きと描かれている。
ヒッグス粒子を発見した研究施設
実は、私は20年ほどにわたり、スイス・ジュネーブ郊外にある世界最大の原子核・素粒子研究施設、セルン(CERN)で、「反物質」の研究グループを率いてきた。CERNには、大型ハドロンコライダー(LHC)という巨大加速器がある。それを例に、物理学における、実験と理論の関係と、発見がどのようになされるかについて、記してみたい。
CERNでは2012年にヒッグス粒子が発見された。1964年にピーター・ヒッグス博士とフランソワ・アングレール博士が予言した「素粒子の標準模型の最後のミッシング・ピース」を、LHCに設置されたATLASとCMSという、二つの巨大な実験装置が検出し、存在が確定したのだ(別々の実験によって検出されたことが重要)。そして、翌年の2013年、ヒッグス博士とアングレール博士に、ノーベル物理学賞が授与された。これは、物理学における、理論と実験の関係を示す一つの例である(念のために申し添えれば、理論が全く予想していなかったことが実験で見つかるという例もあるのが物理学の面白さだ)。
CERNでは、今でも、未知の粒子(本書にも出てくるダークマター候補の粒子など)の探索が続いている。その際に欠かすことができないのもシミュレーションである。その粒子が仮に存在したならば、測定器でどのように見えるかなどを、コンピュータの中で検出器を再現して計算し、日々収集される膨大なデータと比較しているのだ。
現代宇宙物理学の最前線を知る
本書は、宇宙物理学の最前線で使われているシミュレーションの全容を、専門知識のない読者にも分かりやすく解説することに成功している。同時に、シミュレーションの限界や課題についても率直に論じており、科学の本質的な姿勢を示している。
『箱の中の宇宙』というタイトルは、有限の計算機で(無限かもしれない)宇宙をどこまで表現できるかという、本書の中心的なテーマを端的に表現している。著者の熱意と洞察に満ちた本書は、現代宇宙物理学の最前線を知りたい読者にとって、まさに格好の案内書となるだろう。
物理学者
1952年生まれ。東京大学名誉教授、スズキ・メソード会長、株式会社ほぼ日顧問。東京大学理学部物理学科、同大学院理学系研究科修了。理学博士。1998年井上学術賞、2008年仁科記念賞、2009年中日文化賞受賞。2011年3月以降、福島第一原子力発電所事故に関してTwitter(現X)から現状分析と情報発信を行い、福島の放射線調査に大きな役割を果たした。近著に『「科学的」は武器になる』(新潮文庫)がある。
(本原稿は、アンドリュー・ポンチェン著『THE UNIVERSE IN A BOX 箱の中の宇宙』〈竹内薫訳〉に関連した書き下ろしです)