「AKB48→焼肉店経営者」。異色の転身を果たした元アイドルの内田眞由美が、自身の店「焼肉IWA」が10年続く秘訣を全3回の短期集中連載で語ります。第3回のテーマは「失敗」。厳格なルールがあり、ミスが命取りになる芸能界で長年活動してきた筆者ですが、焼肉IWAの運営にはルールを設けず、部下(店員・スタッフ)の失敗を受け入れる組織風土を築いています。その理由とは?(談/元AKB48・焼肉IWAオーナー 内田眞由美、構成/フリーライター 伏見 学)
ミスが命取りの芸能界では
失敗ができなかった
こんにちは、内田眞由美と申します。
私は10年前から東京・新大久保にある「焼肉IWA」という飲食店のオーナーを務めています。また、当時中学生だった2007年、アイドルグループ・AKB48のオーディションに合格し、15年10月までAKB48の一員として活動していました。
10年9月に開催された「AKB48 19thシングル選抜じゃんけん大会」では幸運にも優勝し、シングル曲「チャンスの順番」でセンターポジションに立つことができました。この曲を通して私のことをご存じの読者の方も多いかもしれませんね。
さて、今回のコラムは「失敗」をテーマに書いてみたいと思います。
私は先日、人気テレビ番組「しくじり先生 俺みたいになるな!!」に出演する機会があり、今までのさまざまな失敗談を披露しました。ご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが、番組では本連載でもお伝えした「銀行から5000万円のお金を借りて焼肉IWAを開業したこと」など、どちらかと言うとビジネス面のエピソードを中心にお話ししました。(※ABEMAの見逃し配信はこちら!前編/後編)
では、記事や番組であまり多くは触れてこなかった「アイドル時代の失敗」に何があるかと言うと、実は私は、ステージ上でほとんどミスをしたことがないような“優等生”でした。一度だけ大遅刻をしたものの、それくらいです。自分で言うのもおこがましいですが、わりと器用で何でもそつなくできてしまうタイプなので、ダンスの習得などに苦労した記憶もほとんどありません。
見方を変えると、芸能界がミスは許されない世界であり、少しでも問題を起こすと他のメンバーや芸能人に「取って代わられる」状況だったことも、私がなかなか失敗しなかった(失敗できなかった)一因かなと思います。
ただ今になって振り返ると、当時の私はミスや失敗こそ少なかったものの、ライブ中のパフォーマンスに関しては至らない点も多かったな……と思います。