かつてともにプレーした仲間たちが受ける祝福は、徐々に、田中の中にあった引退に対する禁忌の感情を薄めていった。

 引退は、逃げではないのかもしれない。

 2024年3月、田中は決心した。真っ先に伝えたのは、妻だった。

「ほんまは直接会って伝えたかったんですけど、単身赴任の生活やったんで、夜、子どもが寝たころを見計らって電話しました。いつもやったら、もうちょっと頑張ろうよとか言ってくれる妻が、こっちが口にした途端、ほんとにお疲れさま、よく頑張ったねって」

 もう辞める。無理や。しんどすぎる――そう訴えるたび、折れかけた夫の気持ちを支え続けた妻が、このときは、何の逡巡(しゅんじゅん)も見せずにねぎらいの言葉を口にした。もう限界だと感じていたエディー(編集部注/エディー・ジョーンズ)時代、ジェイミー(編集部注/ジェイミー・ジョセフ)時代より、はるかに自分が追い詰められていたこと、妻の目から見ても限界を超えていたらしいことを、田中は悟った。

 1カ月後の4月24日、田中史朗は引退を発表した。

 4月24日の15時50分、新宿ヒルトンホテルにいた柴田耕治の携帯電話が鳴った。準備万端、手筈がすべて整ったことを知らせる電話だった。