「経営の神様」と称された稲盛和夫氏は、会議の席上であることをしている人をとにかく嫌ったという。「ナンセンス」「仕事ができない」と切り捨てたようだ。稲盛氏は会議の出席者に何を求めたのか?(イトモス研究所所長 小倉健一)
「経営の神様」稲盛和夫氏は
会議の場で何を求めた?
会議に対する人の態度は、会議から得られる利益に大きく関係していると私は思う。会議を時間のムダだと考える人もいれば、「必要悪」と捉える人もいるのは分かる。
しかし他方で、情報の交換によって視野を広げたり、自分自身の売り込みによって地位・キャリアを向上させたりする重要な機会と捉えている人もいるのではないだろうか。
私は、国会議員の秘書から経済誌の編集部に入り、編集長を経験した。月並みなものかもしれないが、会議に向かうポイントを記しておきたい。
まず、誰が出席しているかをよく見渡しておくことだ。知り合いや味方が多ければ、いつもの自分を取り戻せるような気持ちになれる。
会議はできるだけ準備をしていき、会議が始まる前までは雑談をすることだ。「準備が足りないな」「今日、何も言うことがないな」というときは会議のリーダーの横に座り、司会の座を奪うといい。内容がないままでも、仕切っている感じが出る。
あとは正直、場数と気合がモノをいう。テクニックに頼らず、重要なことに集中せよということだ。偉い人ばかりの会議や人数の多い会議は、言葉一つ一つに重みが求められるが、そこで黙っていては主導権が握れない。自分の気持ちを奮い立たせて、勇気を持って発言することが大事だと思う。失敗、失言も含めて、人間の積極性はポジティブに評価されるものだ。
「沈黙は金」という言葉がある。英国の歴史家であるトーマス・カーライルが広めた「沈黙は金、雄弁は銀」ということわざが日本にも伝わった。時として何も言わない方がいい、つまり沈黙を保つことにこそ最も価値があるという状況が存在することを示唆することわざだ。
二・二六事件の首謀者として死刑になった北一輝が、著書『日本改造法案大綱』において「沈黙は金なりを信条とし謙遜の美徳を教養せられる日本民族」と書いている。
余計なこと、うかつなことを言って問題が発生しないようにしようという風に解釈もできる。「キジも鳴かずば撃たれまい」という言葉が象徴するように、会議で上司の言うことに「うん、うん」とうなずいておけば、とりあえず目を付けられることはないと考える人も多いだろう。
また、聞き役として相手の言葉に耳を傾け、理解を深めることの大切さを説いているようにも解釈できる。「コミュニケーション上手は聞き上手」というのも一般的に認知されたものだと考えられる。
しかし、京セラとKDDI(当時、第二電電〈DDI〉)を創業し、日本航空を復活させたことで「経営の神様」と呼ばれた稲盛和夫氏は、全く違う意見を持っていた。京セラを稲盛氏とともに創業した青山政次が著した『心の京セラ二十年』(非売品)から読み解いていこう。