いわく、「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。/母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。/たとえ、女たちが忘れようとも/わたしがあなたを忘れることは決してない」(49.15)、と。さらに、「母がその子を慰めるように/わたしはあなたたちを慰める。/エルサレムであなたたちは慰めを受ける」(66.13)、という。

 神への讃歌、ダヴィデの『詩編』においてもまた、神は母性のイメージに重ねられる。「わたし〔ダヴィデ〕を母の胎から取り出し/その乳房にゆだねてくださったのはあなたです。/母がわたしをみごもったときから/わたしはあなたにすがってきました。/母の胎にあるときから、あなたはわたしの神」(22.10-11)、といった具合に。

 さらに、「主よ、わたしの心は驕っていません。〔……〕わたしは魂を沈黙させます。/わたしの魂を幼子のように/母の胸にいる幼子のようにします」(131.1-2)ともある。

 ユダヤ神秘主義カバラにおいて、地上における神の現前でもあれば、神の花嫁でもある存在は「シェキナー」と呼ばれるが、その原点は、神の女性的原理に言及した旧約聖書の数々にあったのだ。