旧約聖書外典『ソロモンの知恵』においても、「知恵」は「花嫁」であり、「霊が宿る」とされ、「知恵の霊」とも呼ばれる。「彼女は神とともに住んで、/その尊貴な生まれを誇り、/万物の主は彼女を愛した。/彼女は神の認識に与り、/彼の業を選ぶ者となったからだ」(関根正雄訳)と讃える。「知恵」は、神の「霊」でもあれば「花嫁」でもある。

旧約聖書には神を女性と捉えた
イメージが数多く存在している

 意外に思われるかもしれないが、旧約聖書のなかには、神を女性の、とりわけ母性のイメージでとらえた個所が少なくない(Schafer)。その数は新約聖書よりもはるかに多いとさえいえるかもしれない。その主たるものを以下に引いておきたい。

 たとえば『申命記』では、養い育てる神が鷲の母鳥にたとえられる。「鷲が巣を揺り動かし/雛の上を飛びかけり/羽を広げて捕らえ/翼に乗せて運ぶように/ただ主のみ、その民を導き」(32.11-12)、というわけである。さらに、「産みの苦しみをされた神」(32.18)とあるように、神は世の母親たちと同じように産みの苦しみさえ味わうのだ。

 預言者イザヤでもまた、神はみずから「今、わたしは子を産む女のようにあえぎ/激しく息を吸い、また息を吐く」(『イザヤ書』42.14)と語り、同じく産痛の比喩が使われている。この神は、母親のように子に乳を与え、慰め慈しむ神でもある。