2017年の発売以降、今でも多くの人に読まれ続けている『ありがとうの魔法』。本書は、小林正観さんの40年間に及ぶ研究のなかで、いちばん伝えたかったことをまとめた「ベスト・メッセージ集」だ。あらゆる悩みを解決する「ありがとう」の秘訣が1冊にまとめられていて、読者からの大きな反響を呼んでいる。この連載では、本書のエッセンスの一部をお伝えしていく。

ありがとうの魔法Photo: Adobe Stock

「何もない日常」こそが幸せの本質。それに気づかせてくれる「贈り物=災難」

 ずいぶん昔、あるデザイナーが、次のようなことを言っていました。

「ものをつくるにあたって、形としてのデザインも重要だが、色も重要だ。色というものを自分の中でさまざまにとらえ、さまざまに表現してきたが、この数年は、『白と黒』に強く関心が向いていた。しかも最近は、『白は単なる白ではなく、黒は単なる黒ではない』と思うようになった。そして、『白より白い白があり、黒より黒い黒がある』ことに気がついた。『白より白い白』とは、『黒の中にある白』であり、『黒より黒い黒』とは、『白の中にある黒』である。対比させるものが黒いほど、その中に存在する白は白さを増し、輝く。同じように、対比させるものが白いほど、その中に使われている黒は黒さを増し、輝く」

 このような内容だったと、記憶しています。

 白は、白独自で存在するより、黒の中に存在することで、「白さ」を増す。黒は、黒独自で存在するより、白の中にあることで「黒さ」を増すことになります。

 仮に「白=幸」、「黒=不幸」と置き換えたとします。

 すると、「幸の中の不幸は、ますます不幸度を増す」「不幸の中の幸は、ますます幸福度を増す」と解釈できます。

 たとえば、生まれた国の気温が、毎日「30度」だったとします。29度になったことも、31度になったこともありません。この国で育った国民は、「今日は暑いですね」「今日は涼しいですね」とは言わないのではないでしょうか。

 その国には、「暑い」「寒い」といった概念が存在しなかったはずです。つまり、対比するものがあって、はじめて2つの概念が存在するのです。

 私たちは、目の前に起きる現象を「幸か、不幸か」「幸運か、不運か」に分けるように訓練されてきました。

 自分の思い通りの結果が得られたときは「幸」であり、自分の平穏を脅かすもの(病気や事故、倒産など)は「不幸」ととらえてきました。ですが、よく考えてみると、

「幸・幸運」=「自分の思い通りになること」
「不幸・不運」=「自分の平穏が脅かされること」

 という2つの概念は、じつは、「対比」の関係になっていないことがわかります。

「不幸・不運」=「自分の平穏が脅かされること」であるとするならば、その反対概念である「幸・幸運」は、「平穏・平和であること」になります。

 海に魚が泳いでいました。この魚は、生まれてから一度も海の外に出たことがないため、「海を見てみたい」と願い、念じました。

 その魚が泳いでいる岸辺に、人が座り、釣り糸を垂らしました。魚は、「このエサに食いついてみれば、きっと『海』が見られる」と、パクッと食いつきます。

 それに応じて、釣り人は糸を引き、魚は生まれてはじめて外に出ました。そして、外からたしかに「海」というものを見ることができました。

 しかし、苦しい。「もう十分に『海』の広さ、大きさがわかりました。これ以上『海』を見る必要はないので、海に戻してください」と魚は釣り人に頼みます。釣り人はその願いを聞き入れ、魚を海に戻してあげました。

 この「寓話」の中の「魚」が「私」です。「海」は「幸せ」です。私たちは、「海という名の『幸せ』の中に泳ぐ魚」であるらしいのです。

 願いや望みや思いがかなうことではなく、生きていること自体が、何もないことが、何も起きず平穏無事であることが、「幸せ」の本質のようです。

「海を見てみたい」と念じた魚の前に釣り糸を垂らしたのが「神様」だとすると、釣り上げられて海を出て、はじめて海を見たものの、呼吸ができなくて苦しいという状態が、もしかしたら「病気」や「事故」なのかもしれません。

 平和・平穏を脅かす「災難(病気や事故)」は、平和・平穏である日常生活(当たり前の毎日)がどれほど喜ぶべきもの(幸せの本質)であるかを教えてくれる、素晴らしい贈り物であったとも考えられるのです。

「幸せの本質」を認識できず、その「幸せの海」の中にいながら、「幸せを見たい」、「海を見てみたい」と叫んでいると、神様はその願いをかなえてはくれるようなのですが、「釣り上げられた魚」は、苦しくて、つらいらしいのです。

 何かを思い通りにすることや、願いや望みをかなえることが「幸せ」ではないと思います。

 平和で、平穏で、穏やかに、静かに、淡々と流れていく「日常」こそ、「幸せ」の本質であるようです。