人を動かすには「論理的な正しさ」も「情熱的な訴え」も必要ない。「認知バイアス」によって、私たちは気がつかないうちに、誰かに動かされている。人間が生得的に持っているこの心理的な傾向をビジネスや公共分野に活かそうとする動きはますます活発になっている。認知バイアスを利用した「行動経済学」について理解を深めることは、様々なリスクから自分の身を守るためにも、うまく相手を動かして目的を達成するためにも、非常に重要だ。本連載では、『勘違いが人を動かす──教養としての行動経済学入門』から私たちの生活を取り囲む様々な認知バイアスについて豊富な事例と科学的知見を紹介しながら、有益なアドバイスを提供する。(初出:2023年12月4日)
人間は「後悔」の見積もりが、大きすぎる
決断を先延ばすより「すぐやる」ほうがいい。
損失回避やリスク回避に負けないくらい強力なのが、曖昧さ回避と呼ばれる認知バイアスだ。
「どんなリスクがあるのかわからない」というのは、「五分五分の可能性でお金を失うと知っている」よりも悪いように感じられる。
これはパートナー選びや職業選択、投資などの様々な場面での意思決定に当てはまる。
こういうときにはどうすればいいのだろうか?
これから詳しく見ていくように、決断をいつまでも先送りにするくらいなら、「後悔してもかまわない」と行動するほうがたいていの場合ベターになる。
人間にとって何かを失うことやリスクを取ることは痛みを伴う。
その理由は、間違った選択をしたと自分を責めるのが辛いからでもある。
別荘であれ、将来のパートナーであれ、退屈なプロジェクトであれ、自分の行動の結果として何かを手放さざるをえなくなるのは、とても辛いことだ。
それゆえ、予期的後悔(意思決定をするときに、将来に感じるだろうと予測される後悔のこと)は判断において大きな役割を果たす。
だがそこには厄介な問題がある。人は、将来ある出来事が起きたときにそれを自分がどう感じるかについての見積もりが、あまり得意でないのだ。
「宝くじに当選したらどれほど嬉しいか」と尋ねると、人は幸福度が高まることを過大評価する。
実際には、宝くじの一等当選者と宝くじを買わなかった人の幸福度の差は、わずか半年後に同等になる。
宝くじに当たった人は、大金を手にしたことが原因で離婚したり、友人から金を無心されたり、近所の人からねたまれたりと、様々な不幸を体験することが多い。
また、悪いことが起きたとき人生にどれほど悪影響が生じるかについても、人は過大評価する傾向がある。
実際には、悪い出来事が起きても、私たちは自分が思っている以上にそれを受け入れることができる。
たとえば足を切断した後でも、人はかなり早い段階で以前と同じ幸福度に戻ることが知られている。
つまり何かを決断する際、私たちはたいてい後悔を過度に大きく見積もっているのだ。
いつまでも決断を先延ばしにして状況を悪化させるより、間違えてもいいから決断してしまうほうがいいと言えるのはそのためだ。
逆説的だが、私たちが後悔するのは完璧さを求めるがゆえに行動しなかったことなのだ。
(本記事は『勘違いが人を動かす──教養としての行動経済学入門』から一部を抜粋・改変したものです)