死ぬ直前に後悔しないためには
人間としての人生目的を知るべし
私たちの人生において、特別なことを成し遂げる必要はないかもしれません。しかし、本当にやりたかったことをやらなければ、後悔する可能性があります。
数多くの「最期」を看取った介護人が書いた、死期迫る人々の後悔をまとめた『死ぬ瞬間の5つの後悔』(新潮社)では、「自分に正直な人生を生きればよかった」「働きすぎなければよかった」「思い切って自分の気持ちを伝えればよかった」「友人と連絡を取り続ければよかった」「幸せをあきらめなければよかった」の後悔が挙げられています。
特筆すべきは、「何かをした後悔」よりも「何かをしなかった後悔」が多いことです。
私たちはいつ死ぬかわかりません。だからこそ、私たちが生きているだけで宇宙に肯定されているのなら、本当に実現したい人生の目的に挑戦しましょう。そして、本稿を読んでいる今から、それに向かって取り組んでいただきたいのです。
私自身も、死を意識した経験があります。
最近では、旅行先の乗馬体験中に、森の中で馬から落ち、怪我をした際に「いつ死ぬかわからない」という現実を痛感しました。暴れた大柄な馬から落ち、側頭部を砂利道に打ちつけました。運が悪ければ、馬に踏まれるか打ちどころが悪く死んでいたかもしれません。朦朧とした頭で地面から馬を見ながら、「ここで死にたくない、やり残したことがたくさんある」と強く感じました。
現代の医療技術では永遠に生きることはできません。だからこそ、人生の終着点である「死」を意識するのです。
人は締め切りを意識すると潜在的な力を発揮できる性質があります。例えば、だらだらとした1時間の会議が残り10分になった途端に話がまとまったり、試験直前に一夜漬けしたら驚くほど集中して勉強できたりした経験があるでしょう。行動経済学者のセンディル・ムッライナタン氏とエルダー・シャフィール氏は、時間の欠乏が集中力を高める効果を「集中ボーナス」と呼んでいます。
死を意識することは、人生に対して集中ボーナスを発揮できるチャンスです。スティーブ・ジョブズ氏も毎朝、「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか?」と鏡に向かって問いかけ、「違う」という答えが何日も続くようであれば、生き方を見直すという習慣を持っていました。このような問いかけを通じて、私たちは日々の選択を見直し、人生の目的を見つけることができます。