広島県尾道市で一人で暮らす哲代おばあちゃんは103歳。中国新聞に連載され「こんなおばあちゃんになりたい」と読者の注目を集めた哲代おばあちゃんだが、2023年には2度の入院も経験した。それでも誰かを頼ることなく、一人暮らしを続ける意外な理由とは。取材記者のまなざしも交えて、哲代おばあちゃんの強さの秘訣に迫る。※本稿は、石井哲代・中国新聞社『103歳、名言だらけ。なーんちゃって 哲代おばあちゃんの長う生きてきたからわかること』(文藝春秋)の一部を抜粋・編集したものです。
「幸せじゃないか」と相手を
ひがみたくなるときも「聞く力」が大事
人の話は一生懸命に聞きます。
内容に聞き入るというより、相手の人のことを思うんですね。そう言ったらいかにも偉そげですが、どうしてこうした気持ちかな、繰り返し言いたいんかなって。
相手がしんどい思いを抱えとったら、聞いてあげることでその人が持っとるものが軽うなるんですよね。何を手助けできるわけじゃないが、発散できる相手がいるというのも大事なんじゃろうと思います。
私が若いときは、愚痴や悩みを打ち明けられる人がおらなんだからなあ。仕事しとりましたし嫁の立場ですけえな、そう明け透けにモノが言えません。だから自分で自分を慰めていくしかしょうがなかったです。自分の心の中で、時間かけて消化するっていうんかな。
初めて会うのに自慢話ばっかりする人もおってです。ほうねほうね、そりゃえかったねえと聞いていれば気持ちよくなってくださるが、ときにチクチクとこっちの胸に刺さることを言いんさる。「娘がようしてくれて」とか「孫がかわいいて」とか。
私みたいな子どもがおらん者は「幸せばっかじゃん」ってひがみたくなります。でもそこはぐっとこらえて、心得て。「この人も、何か面白くないことや物足りないことがあるんかもしれんなあ」なーんて考えながら聞かせてもらうんです。
やっぱり「場」の雰囲気が大事です。まあるくて、そこにおって安心できる空気っていうんかな。そういう場が私は好きじゃし、人が寄ってきてくださる。聞き役になる人の心が、そんな場をつくっていくんじゃと思うんです。
取材記者から見た
哲代おばあちゃんの強さと優しさ
聞き上手な哲代さん。相手の目をじっと見つめ、口を半開きにして神妙な顔で話に聞き入る。ほうほう、へーえ、わおわおなどの絶妙な相づちも忘れない。
教師時代、きっとこんなふうに子どもたちの声に耳を傾けていたんだろうなと想像する。
若いころの哲代さんも、誰かに愚痴を聞いてもらいたかったに違いない。でも、弱音というものを心の奥に隠して生きるしかなかった。
後継ぎになる子どもがいないことで陰口をたたかれまいと、学校が終わると一目散に家に帰り、日暮れまで畑仕事に励んだという。
「隙をつくらないよう鎧を着けたようなもんでした。私もいじらしいです」と話してくれたことがある。一生懸命に相手の話に耳を傾ける哲代さん。誰にも相談できないしんどさを知っているからこそ、人の痛みに敏感なのかもしれない。情けないことも、しんどい思いも受け止めてくれる。だからつい私たちも、取材を忘れて長話になってしまう。