「あなたは人生というゲームのルールを知っていますか?」――そう語るのは、人気著者の山口周さん。20年以上コンサルティング業界に身を置き、そこで企業に対して使ってきた経営戦略を、意識的に自身の人生にも応用してきました。その内容をまとめたのが、『人生の経営戦略――自分の人生を自分で考えて生きるための戦略コンセプト20』。「仕事ばかりでプライベートが悲惨な状態…」「40代で中年の危機にぶつかった…」「自分には欠点だらけで自分に自信が持てない…」こうした人生のさまざまな問題に「経営学」で合理的に答えを出す、まったく新しい生き方の本です。この記事では、本書より一部を抜粋・編集します。

いつも「時期尚早」という人は勝てない
私たちはよく「成長市場」という言葉を何気なく使いますが、成長市場が本当に「爆発的に成長している期間」というのは、実は「一瞬」と表現しても良いほどに短い期間でしかないのです。だからこそ、この「一瞬」を捉えることができた企業と、捉えることができなかった企業とのあいだで、大きな差が生まれるのです。
新規事業を検討する際、よく「時期尚早である」という反論がなされます。しかし、ここまで見てきた日本におけるインターネット市場の歴史を踏まえれば、むしろ誰もが「時期尚早である」と考えるタイミングで大胆な意思決定をしなければ、キャズム前後の「一瞬」を捉えてアドヴァンテージを得ることはできない、とも言えるのです。
私自身の記憶を辿れば、インターネットが爆発的に社会に浸透した1990年代の後半、インターネット事業を検討した企業は少なくありませんでしたが、多くの企業では「時期尚早である」として判断を保留し、ソフトバンクの孫正義やアマゾン創業者のジェフ・ベゾスのように「千載一遇の機会を捉える」という意思決定ができなかったように思います。
しかし、これはなかなか責められるものではありません。孫正義が社運を賭してインターネットビジネスへの参入を決定したのは1995年前後で、この頃はまだ政府の統計すら準備されていない時期だったのです。改めて確認すれば、1996年時点でのインターネットの世帯普及率はたったの3.3%でしかありませんでした。
いまから考えれば信じられないことですが、当時は電通の社内にも「インターネットは日本では流行しない。そのうち必ず消えてなくなる」と冷ややかに構えている人が少なからず存在したのです。
コンセンサスを重視する日本企業の意思決定の仕組みを踏まえれば、懐疑派が根強く反対するような状況では、なかなか大胆な意思決定ができません。結局、懐疑派が絶滅するのは、インターネットの普及率が50%を超えた2001年から2002年にかけての時期で、ここからさまざまなインターネットビジネスが始まるわけですが、この時点から市場浸透率の伸長には急速なブレーキがかかっており、新規参入者は血みどろのレッドオーシャンにダイブすることになってしまったのです。
とはいえ「早すぎる」のも問題
これを逆に言えば、市場調査などのエビデンスが揃う頃には、すでに勝敗は決している、ということなのですが、では「早ければ早いほど良いのか?」というと、そうでもないのが難しいところです。
例えば、インターネットの場合、1990年代の後半に創業して大きく育った会社が目立つ一方で、1990年代の前半に創業した会社がひとつもないということに注意してください(ソフトバンクは1980年代の創業ですが、元々はソフトウェアの流通と出版が主幹事業でネットに進出したのは1996年のヤフージャパンが最初です)。
これはつまり、はっきりした兆候が目に見えるまで待っていたら手遅れだけれども、市場の胎動が始まる前に動き出してもうまくいかない、ということです。
誰の目にも「来る」ということが明らかになってから取り組んだのでは手遅れだけれども、だからと言って、早すぎるタイミングで飛び出しても波に乗ることはできない、ということなのです。この辺りは実にサーフィンの感覚に似ていますね。