いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)

心をひらく
それは、「自分は知っている」という考えを捨て去ることだ。
人は「知っている」と思っている何かについて学ぼうとすることは絶対にないからだ。(エピクテトス『語録』)
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より
知的に見える人は、なぜ知的に見えるのか?
タレントの伊集院光さんは、なぜあんなに知的に見えるのだろうかと考えたことがある。
NHK「100分de名著」のプロデューサーさんが「この番組が長く愛されているのは司会を務める伊集院さんのおかげ」と絶賛しているのを聞いた。
確かに、と思った。名著の内容、専門家の方々の解説が素晴らしいのはもちろんなのだが、それを学びながらつねに驚いている人の存在が重要なのだ。
伊集院さんは、いつも驚いている。
無知だから驚いているのではない。教養があるから、驚いている。そして驚きながら言うコメントが面白い。視聴者ははっとさせられ、学びを深めることができる。
1つのコツ:自分自身が驚きをもつ
私たちは、「知らないことが多いほど驚きが多く、知っていることが多いほど驚きが少なくなる」となんとなく思っている。
しかし、本当は逆だ。あまり知らないことは、どんなにすごい情報を教えてもらっても驚けない。すごさがわからないからである。「へぇー、そうなんだ」で終わってしまう。
でも、すごさがわからなくても、教えてくれる人が驚いていると「そんなにすごいことなんだな」と思って面白くなってくる。知りたくなってくる。
「こんなことは常識だ。このくらいちゃんと勉強しなさい」とか「私は専門家だから何でも知っているけどあなたは知らないでしょう、だから知識を授けよう」とかいう姿勢で教えてくる人の話は面白くない。
学生のころを振り返っても、授業の面白い先生とつまらない先生の違いは、「自分自身が驚きをもって教えているか」なのではないかという気がしてくる。
「すごいでしょう? 驚きでしょう?」という感じで話をしてくれる先生の授業は面白かった。
そういう先生は、「まだまだ知らないことがある」と思い、学び続ける姿勢が根本にあったのではないか。
「賢者のような教師」エピクテトス
冒頭の言葉を説いたエピクテトスは、素晴らしい教師だったに違いない。
『STOIC 人生の教科書ストイシズム』では、ストイシズムの誕生と普及の経緯を解説する中で、代表的なストア哲学者について紹介している。
エピクテトスはもともと奴隷の子として生まれたが、ストイシズムを学び、哲学の学校を開いた。「賢者のような教師」で、大勢から尊敬されていたという。
ある分野について学び、人に教えられるほど知識を得たときに「自分はもう知っている」と思うのか、「まだまだ知らないことがある」と思い続けられるのか。
後者でありたいと思う。そのほうが人生は豊かで面白くなりそうだ。
(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)