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スポンサーをつけずに、自費で日本人女性初のヒマラヤ8000m峰全14座登頂という偉業を成し遂げた現役看護師で登山家の渡邊直子。そんな彼女は、いかにしてヒマラヤ登頂と看護師の両立という、タフなワーク・ライフ・バランスを作り上げたのか。※本稿は、看護師兼登山家の渡邊直子『エベレストは居酒屋です』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。
学費をアルバイトで稼いで
看護大学に入学
看護大学は日本赤十字社(以下、日赤)の大学にしようと決めていました。母が私を出産したのが日赤の病院で、母自身も日赤の病院で働いていたことがあり、そのときの看護師の堂々とした振る舞いに感動したと言っていたからです。
母が働いていた当時、看護師は医師よりも地位が低く、医師のサポート役のような扱いをされている風潮がありました。しかし母が他の病院から日赤に移ったとき、日赤の看護師長が医師に堂々と物が言える頼もしい方で、母がしようとした業務を「それは医師がやればいい仕事だから、あなたはやらなくていい」と言われたそうです。
私を帝王切開で出産するため日赤に入院しているときも、助けが欲しいと思ったらナースコールを押す前に来てくれたそうで、それにも感動したと言っていました。
また、日赤が災害救護もやっているので、海外で活躍できる人になりたいという思いもあり、受験を決めました。
そんなわけで、長崎大学を卒業後、学費を調達するため1年間アルバイトをしながら受験準備をし、日本赤十字豊田看護大学に入学しました。
学部長の計らいもあり
二足の草鞋をはけることに
看護の道に進んだら、もうヒマラヤ遠征には行けない――そう思い、高所登山は一区切りのつもりでいました。ところが、長崎大学を卒業する直前に、チョ・オユー(8201m)遠征の話が舞い込んできたのです。







