とらわれない、偏らない、こだわらない
この姿勢を持ってはいかがですか

 実のところ、人生相談に対する私の答はほとんど次の三つです。

 とらわれない、偏らない、こだわらない。

 悩みを抱えている多くの人は、一つの見方にとらわれています。だからとらわれない、偏らない、こだわらない姿勢を持ってはいかがですか、と言うのです。

 それ以外には、相談者の感情をどれだけ処理するかの問題になります。相談という行為そのものがはけ口になる。悩みを言語化して、他人に伝える。その時点である程度過程を整理して、問題点を抽出しなければいけない。それ自体が感情の処理になるのです。

 昔の日本人は、これを和歌や短歌でやっていたのかもしれません。好きな人に会えないだの、出世できなくて悔しいだのといった苦しみを詠んだものが多いでしょう。言葉をそういう風に使って生きていたと言ってもいい。

 ところが言葉が感情ではなくて論理を述べる道具にどんどんなっていくと、そうもいかない。結果として、悩みを上手に吐き出せなくなるのでしょうか。

「おじさん・おばさん」になる前に絶対やっておくべきこと、養老孟司が「一人は気楽」という人に異論を唱えるワケPhoto:PIXTA

他人の人生を背負う意味
中年になるまでに持つべきもの

「中年になるまでにやっておいた方がいいことってありますか」

 こんな相談を受けることがありました。これに対する答としては、「家を持つこと」でしょうか。家を建てろということではなくて、家族を持つということです。

「結婚しろというのか」「独り身ですみませんね」と叱られそうですが、別に結婚を強いるつもりはありません。子どもを作れとか、家族を持たなければ半人前だなどと言うつもりもまったくありません。

 人それぞれの考え、事情があるでしょう。「家」の真意を少し丁寧に言えば、何らかのコミュニティに所属する、他人とのつながりがある場を持って生きるほうがいい、ということになるでしょうか。

 何か背負うものを持ったほうがいい、とも言えます。

 要は、自分だけが宙に浮いているような状況は具合が悪いということです。

 一人のほうが気楽だ、とにかくしがらみを減らしていきたい、家族なんて負担がないほうがいい──そう思う方もいることでしょう。

 若い頃は、しょっちゅう年上の人に言われたものです。

「家族がいないからお前らはそんなこと言えるんだ」

 いまはこういう言い方もハラスメントになりますから絶対に許されないのでしょう。しかし、一面の真理をついていたとは思います。

 現実を理解するには背負うものが必要だということです。

 もちろん家族を持つのは良いことばかりではありません。むしろ厄介ごとが増えるのは間違いありません。