日本で暮らす以上、避けることが難しい自然災害。しかし安全が当たり前で死が遠ざかった現代社会では、「自然の脅威」といった言葉も説得力を持ちません。現代人が生きる覚悟や実感を取り戻すには、どうすればいいのか――。養老孟司氏は「二足の草鞋」を履くことを勧めます。本稿は『1日1篇「人生を成功に導く」365人の言葉』(PHP研究所)の一部を抜粋・編集したものです。
自然と共存する覚悟が
薄れている現代
東日本大震災が起こり、すさまじい津波に襲われました。その光景を見て、「自然は驚異だ」「自然とは想定外のものだ」などという言葉が氾濫しました。大自然がもつ怖さ。そんな当たり前のことは、今さら言うほどのことでもありません。
「人間がつくったものではないもの」。自然を定義するなら、その一言に尽きます。人間が立ち入ることのないような森。そこに育っている木々。実がなれば鳥たちがやってきて食べ、不要な枝は勝手に朽ちていく。これが自然です。しかし、この木を都市部の街路に植え替えた瞬間に、それは自然ではなくなります。
ほんとうの自然に身を置いて暮らすことは、人間にとっては危険なことでもあります。人はどうして都市をつくったのか。それはとりもなおさず、自然の怖さから身を守ろうとしたからです。都会とは、人が安心を得るためにつくられた要塞みたいなものなのです。
そしてこの要塞のなかで暮らしていると、いつしか人間が特別な存在だと勘違いしてくる。人間の身体もまた自然であることを忘れてしまうのです。私の身体にしても、生命の自然がつくりだしたものに過ぎません。何も好き好んでこんなふうに生まれてきたわけではない。森の木々と同じです。
自然そのものには不安と恐怖が常につきまとっており、いくら管理しようとしても、人間の力には限界があります。大自然を管理することなどできるはずはありません。それでも人間は、大自然と向きあって生きなくてはならない。そこに必要となってくるのは、自然とともに生きるという覚悟です。
海に囲まれた日本。漁師たちは昔から海の側で暮らしを営んできた。台風や津波に襲われながらも、それでも海沿いで暮らすことを選択してきた。きっとそこには、海とともに生きるんだ、という覚悟があったのだと思います。津波で家を流されても、家族を海で亡くしても、それでも自然と共存しようとする覚悟をもっていた。そうした日本人の覚悟が都市生活を続けていくなかで、次第に薄れていったのではないでしょうか。
ほんとうの自然とは何なのか。そして、それとどう向き合えばいいのか。もう一度考える時が来ているような気がします。