養老孟司が教える「丁寧に育てるべき子」と「放ったらかしても育つ子」の“たった1つ”の違い写真はイメージです Photo:PIXTA

子どもの教育に熱心になっている親は多いだろう。現在は、教育についての情報も多数あり、その取捨選択も一苦労だ。しかし、養老孟司氏はそのような幼い頃からの熱心な教育に懐疑的だ。『バカの壁』(新潮新書)などの「壁」シリーズで累計700万部超えの著者が語る教育の本質とは。本稿は、養老孟司『人生の壁』(新潮新書)を一部抜粋・編集したものです。

子どもに手をかけたほうがいいという錯覚
そんなに結果は変わらない

 いまの子どもたちは習い事が多くて忙しいとよく聞きます。親の出費も多いようです。多くの親は、自分は子どもを大切にしている、教育に熱心だと思っているでしょう。無理をして出費している親ならば、余計に「こんなに手をかけている」という気持ちを持つかもしれません。

 ただ、そこに少し勘ちがいがあるのではないかとも思います。

 そのようにあれこれ習わせることで、子どもが良い方向に育っていくというのは、一種の幻想ではないでしょうか。あれこれ手をかければかけるほど、子どもにプラスになるなどというのは勘ちがいの典型です。

 乱暴に言ってしまえば、子育てにあたって親が気を使うべきは、子どもを危ない目に遭わせないことと、食事をちゃんと与えること、そのくらいでしょう。

 それ以上、手をかけてもかけなくても、実はそんなに結果は変わりません。

 そもそも私自身がそんなに親に手をかけられたおぼえがありません。私の世代はみんなそうでしょう。

 習い事だの塾だのよりも、むしろ兄弟姉妹がいたことのほうが、よほどためになったように思います。存在そのものに教育効果があるともいえます。兄弟姉妹で助け合ったり、けんかしたりすることが、成長を促すのです。

コホート研究でわかった
幼い頃は「褒めて育てる」が正解

 このように言うと、「あんたの頃とは時代が違うよ」と思われるかもしれません。でも時代が変わっても変わらないことは多くあるのです。

 たしかに水泳やピアノのようなものは習わないと身につかないので、習わせる意味はあるのかもしれません。しかし、それらについて英才教育をしたからオリンピック選手や一流ピアニストになれるわけではないのはわかりきったことです。ほとんどの人にとっては、よくて趣味、あるいは幼い頃の思い出くらいにしかなりません。

 早期天才教育のようなものに意味を見出す人もいるようですが、おそらくほとんど意味がないと思います。