ぼやーっとしたもので作られる
「結婚」や「家族」
森山 それは異性のあいだでもあっていいことですよね。でも、そうはたぶんなっていない。日本人男性と外国人女性の結婚が「日本に在留資格を得るための偽装結婚」だと詮索されることがありますよね。愛がない結婚、結婚制度の目的外使用は禁じます、といった規範はとても強いですね。規範が強いだけじゃなくて、そのことによって実際に生存を脅かされる人もいる。誰が結婚の「目的外使用」ができるのかも、平等ではないんですよね。
能町 日本人同士だったら別にいいか、ってなるところ、他の条件が入ってくると途端に余計な詮索を受けますよね。
森山 場合によっては捜査されるかもしれない。不法滞在を疑われるみたいなこともありえるわけですから。
編集者 それだと、愛がないけど結婚している日本人カップルとの違いとか、また別の問題が浮かび上がってきますね。愛って測れるのかとか。
森山 そうですね。もちろん愛は測れないので、何で測るかというと、法律上は居住実態みたいなもので測るわけですよね。事実婚がありえるのは、生活実態があるからみたいな。
そういうところで測ろうとすると、一緒に住むこと、一緒に生活をしていることみたいなところが重要なポイントになってくるのかな、とは思っているんですけど。
愛があるとか、生活があるとか、子供だとか、いろんなぼやーっとしたものが、なんとなく薄くつながりながら結婚になっているっていう感じがありますよね。
森山 結婚と同様に、「家族」というのもなんだかいろんなぼやーっとしたものが、なんとなくつながりながらできあがっている感じがありますよね。僕自身は自分のパートナーとの関係を「家族」と呼ばれることにかなり強い抵抗があります。なんだか、「長期間の安定した絆」賛美、みたいなものに動員させられてしまった感じがして。
仲良しだったり、互いを支え合ったりするという性質を、「家族」という言葉に回収されたくないと言いますか。逆に、「家族」だからって「仲良し」「お互いに無条件で支える」「生まれたことに感謝する、恩返しする」なんてまっぴらごめんだ、という方向から家族規範を批判する人もいますよね。