男女の記号写真はイメージです Photo:PIXTA

性の多様性とは一体何なのであろうか。性的分類、性的指向、性同一性……概念一つを取ってみても単純な話では終われない。森山至貴と能町みね子によれば、「普通の人」がセクシャル・マイノリティのことを「男でも女でもない人」と捉えていることに違和感があるのだという。専門家や当事者が語る、セクシャル・マイノリティの正しい理解のしかたとは?※本稿は、森山至貴・能町みね子『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ 性と身体をめぐるクィアな対話』(朝日出版社)の一部を抜粋・編集したものです。

「男」と「女」と「それ以外」
その認識は間違っている?

森山至貴 人を男と女の2種類になんとしてでも分けるべしという社会規範は批判されていますけれど、たぶん世のなかの「普通の人」にとっては、この社会規範の中身を認識すること自体がけっこう難しいと思うんです。

 その理由のひとつですけど、そもそもセクシュアル・マイノリティを「男でも女でもない人」っていうふうに思っている人っているじゃないですか。そうすると、レズビアンやゲイ、トランス女性やトランス男性が、女性、もしくは男性で、っていうところをまず飲み込んでもらう必要がある。それから、「そういうのじゃない、性別二元論に当てはまらない生き方をする人がいるんだ」って理解してもらわなきゃいけないので。

能町みね子 ああ……!たしかに。

森山 そもそも、その人たちのなかでは、一番最初が二元論的じゃないんです。男と女とそれ以外で、それ以外のところにセクシュアル・マイノリティが全部入っている。

能町 もはや三元論ですね。

森山 そうなんです。まず、男と女というところから排除されている人を男と女に戻し、そのうえで、「だからってみんながここに入るんじゃないんだ」って言わなきゃいけない。

能町 私が当事者だから、その視点はもう忘れちゃってましたけど、その通りですね。

 私は、書類に性別記入欄があって、男・女の他に、「その他」とか「答えたくない」があったとしても、まったく迷わず「女性」に丸をつけるんですよ。でも、世間の一定の人たちは、私のことを「その他」に丸をつける人だと思っている可能性があるわけですね。

森山 それです。たぶん僕に関してもあって。今でも当然のように大手の新聞にも「最近では男性と女性だけじゃない生き方があって……」みたいなことがインタビューなんかで載るじゃないですか。そこで想定されているのが、ノンバイナリーじゃなくてセクシュアル・マイノリティ全般。だから、性別二元論を批判しようとすると、たぶん最初は刀が空を切るんです。