「伝統的な理想の家族像」に
囚われる報道の視点

能町 その話で思い出したんですが、FtMトランスジェンダー(編集部注:心の性別が男性、体の性別が女性として出生し、女性から男性へ性別移行を望む人を指す)の杉山文野さんとパートナーの方のあいだに、親友であるゲイの方の精子を使って子供ができたんですよね。

 2018年11月に出産して、元女の人と女の人のあいだに子供ができました、みたいにちょっとセンセーショナルな感じの報道になったのかな。本人たちは幸せそうですし、そのことに文句をつける気はもちろんないですけど、制度的だな、とも思って。

 なんだろう……いわゆる、今まで綿々と受け継がれてきた「家族の幸せのかたち」みたいなものを成就しているということに私はモヤモヤがあるんですよ。彼ら彼女ら3人はそれを求めていたから、そのことに文句を言うのは筋違いだとは思いつつも、みんながいわゆる伝統的な理想の家族像みたいなものに近づいていくことに対して抵抗も感じます。

森山 今の例も、本当は、「普通」から離れていくっていうところに希望を見出すみたいなかたちに入れてもいいケースに思えます。たとえば、精子提供したゲイ男性の人は、精子を提供しただけでこの家族にはかかわりはない、っていうんじゃなくて、杉山さんとパートナーが子供を育てることにかかわってもいる。

 伝統的な意味での家族のメンバーではない人が子供を育てる、違う仕方でかかわるという意味では、普通の家族のあり方を見直す契機になっているはずなのに、その見直す契機になっているところは記事では取り上げられない。で、「よき家族のかたちをこういう『変わった人たち』でも作れました」みたいなストーリーになってしまう。

能町 ああ、たしかにそうだ。報道の視点がそっちを向いてますね。

いろいろ荷物を積みすぎている
「家族」という船

森山 それがすごく嫌なんですが、しかし上手にそのことを表現しないと、その新しい人間関係のあり方を発明した人たちを非難しているみたいになってしまう。お子さんがほしいと思って、その当事者たちがみんなで合意できるようなベストなかたちを新しく発明したっていうことを否定したいわけではないのに。