ないはずの右足が「ぶつかる!」
幻肢と妄想はどう違うのか
退院して1週間が過ぎ、移動手段は車椅子から松葉杖へ。
しばらくはデスクワークのみで自宅待機のつもりが、義足も無いまま乗るつもりのなかった電車に乗って何度か仕事や忘年会へ出かけた。
混んだらどうしようかと心配もあったが、幸い実家の最寄駅からの始発に乗れば座れるので1本足で松葉杖でも苦労は無い。
初めて昼間の電車に乗った時のこと。
始発電車の優先席に座って数駅を過ぎると車内が徐々に混み合ってきて、目の前に1人の女性が立った。
その瞬間とっさに、「右足がぶつかる!」という緊張感で全身がビクッとした。
僕の現在の幻肢はだいたいまっすぐに伸びており、椅子に座った状態だと足が前方へ投げ出されている。
切断前の人工関節が入っている時も膝の曲がりが悪かったので、電車とかでは目の前に人が来たらぶつけられるのではというストレスがあった。
今は左足を直角に曲げて深く座り前に飛び出した右足も無いはずなのに、目の前に立った女性に幻肢がぶつかってしまった。
ぶつかったというか、女性の身体に幻肢がめり込んでる。
入院中には無かったシチュエーションなので、1人でドキドキしてしまった。
ただでさえ今までは、身体を縮めても曲がらない右足が自身のパーソナルスペースを飛び出してしまう印象があった。今でもその身体感覚が強いので至近距離に人がいるとびっくりしてしまう。それに加えて曲がらない幻肢がくっついていると、目の前に人が立った瞬間思わず声を出してしまいそうになった。
自分の身体(幻肢)が他人に重なっているという感覚はとても不思議だった。入院中も物体に幻肢が重なることはあったけど、相手が人体となると肌が触れ合っているような緊張感がある。他者との間合いがより濃い密度で感じられた。

青木 彬 著
幻肢痛を感じた当初、幻肢を遠くまで延ばしたりできないかを考えていたが、他人の身体と幻肢が重なる状況は、自分の肉体で到達できない場所へ身体感覚が延びていくという意味では近い体験だったのかもしれない。
でも、幻肢は妄想とどう違うのだろうか。
他人の身体と自分の身体が重なってしまうなんて不可能なはずなのに、そのように知覚してしまうのは果たしてどういうことなのだろう。切断をきっかけに脳を駆け巡る電気信号の回路がおかしなことになり、こうした一種の想像力を駆動させているのかもしれないし、そうだとすればそのきっかけは切断以外の出来事でも誘発されるのかもしれない。